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お前も侍の子じゃけん、覚悟せい。| 松本零士

私は福岡の久留米生まれの小倉育ち。父親は大刀洗の飛行第四戦隊の勤務で、陸軍航空隊の飛行機乗りでした。幼少期に明石に越して、そこに昭和18(1943)年まで。先祖の家が愛媛県の大洲市新谷にあって、19年から疎開しました。連日連夜B29の大編隊が宇和島の方から頭上を通って広島の方へ。原爆機も頭上を通ったはずです。機銃掃射を受けて爆弾を落とされる、空襲警報も味わいました。終戦の日は川で泳いでいて、「戦争

心して観たいと思うほど、 先延ばしになってしまう。| 増子直純 (ミュージシャン)

「偏ってはいるけれど、観ている方だと思う」と言う映画好きの怒髪天ボーカル・増子直純さん。増子さんの「観てない映画」は、観たい気持ちはあるのに見逃してしまっているものばかり。

「『スクール・オブ・ロック』はこれまでさんざん人に薦められたけど、まだ観てないんだよ。単純にタイミングの問題。すごく面白いらしいよね。小太りの男がギター弾きながら膝でスライドしている場面しか俺のなかに情報はないけど(笑)。『

映画は現場の共通言語だから、 カントクが「観てない」は恥。 | 入江 悠 (映画監督)

『SR サイタマノラッパー』で注目を集めてメジャーデビューした入江悠監督。29歳の時にWOWOWドラマ『同期』の監督に抜擢された際、役者もスタッフもベテラン層に囲まれ、プレッシャーは相当なものだったとか。「せめて“自分の方が映画を観ているぞ”という自信がないと、現場に入った時に気持ちで負けると思って、撮影準備として、ひたすら映画を観まくりました。例えば、竹中直人さんが休憩時間にポロッと言った映画は

意識的に映画を選ぶのは、 無意識下の影響力が怖いから。| 瀧本幹也 (写真家)

カメラマンを志した中学時代に映画にハマり、いまでも年間40本は映画を観ている瀧本幹也さん。是枝裕和監督に抜擢され映画の撮影監督を務めるようになってからは撮影手法の研究も兼ねてさまざまな映画を観ているが、その中には“意識的に観ない映画”のカテゴリーがあるという。

「まず一つは、黒澤(明)監督の『八月の狂詩曲』です。映画にハマり始めた中学生の頃から、黒澤作品はほぼ全部観ていますし、大人になってからも

父も私もおどろおどろしい ホラーは苦手なんです。 | 黒澤和子 (映画衣装デザイナー)

「今までで一番難しい質問です」。
開口一番そうつぶやくのは、映画衣装デザイナー、この特集の第1弾で表紙を飾った黒澤明監督の娘である黒澤和子さんだ。

「一般の観客と映画人では映画との接し方が違うんですよ。映画人だったら、(テオ・)アンゲロプロスや(アッバス・)キアロスタミはもちろん観なきゃいけないと思います。でも、そういう作品を観てない一般の人は多いでしょ? 逆に世の中の人たちは興行的にヒットした

観たくても観られない。 そんな時代を生きてきた。| 大林宣彦 (映画監督)

あんな人物の映画は観たくないと思っても、観ればその人を深く理解できるので、積極的に観るようにしている。だから「観てない映画は?」と聞かれても、思い当たるものがない。そう話す大林宣彦監督には、しかし観たいと思っても映画を観ることのできない時期があった。
「戦後、被占領期は映画を観られませんでしたからね、GHQ(連合国軍総司令部)が観せてくれるもの以外は。GHQ最高司令官のマッカーサーが、日本人にアメ

日本一イベントの多いミニ シアターは商店街の一角に!┃元町映画館

 元町商店街の一角にあるミニシアターのオープンは2010年8月。「メジャー大作でない映画の魅力も知ってほしい」と映画好きのオーナーがスタッフを募集、普通の店舗物件を改装し映画館に! 現在は年間およそ270~300本、朝から夜まで幅広いジャンルを上映。週末は作品の背景を解説するトークショーや監督との座談会、マルシェなど映画にちなんだイベントも、多い時は1日4回も開催。「イベントに興味を持った人が映画

沖縄産の映画も多数上映、 県内唯一のカフェシアター。┃シアタードーナツ

 きっかけは、一本の沖縄産ホラー映画。2014年に公開された『ハイサイゾンビ』に製作者として関わった宮島真一さんは、せっかく作ったのになかなか観る機会がないことに気づいた。「最初はカフェなどで上映会をやっていたんですけど、これがなかなか好評だったんです。じゃあそれなら映画館自体を作っちゃえ! ってことになりました」。沖縄市の中心部にあたるコザは、那覇から北東へ向かっておよそ20㎞。一時期は駐留米軍

つまんない作品だって、 酒の肴になるんだよ(笑)。┃シネマノヴェチェント

「映画が好きで好きで、ずっと映画館と配給をやりたかった」と、館主の箕輪克彦さん。もともとは家業を継いでいたものの、2000年頃「今だ」と一念発起。名画座が次々と潰れ始めていた当時、大胆な決断だった。当初はスペースを借りてイベント上映を行っていたが、「映画館って、映写機と場所さえあれば小規模でもできるよな」と気づく。16ミリと32ミリの映写機を手に入れ川崎市で始めたのが、シネマノヴェチェントの前身、