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土人形

曳山人形

14台の豪華な曳山が唐津の旧城下町を巡航するお祭り『唐津くんち』。鯛や獅子、兜や亀などを象った巨大な曳山は、乾漆造による世界最大の工芸品で、その制作費は、現在の価格にすると1億〜2億円にもなるといわれています。唐津くんちは、唐津神社の秋季例大祭として行われているもので、今日のような曳山が登場したのは、一番曳山の赤獅子が奉納された文政2(1819)年から。以来、明治9(1876)年までに15台が制作

長浜人形

島根県浜田市の長浜町を中心に広まった土人形「長浜人形」。良質な粘土がとれる土地として知られており、江戸時代から人形師が多く住んでいました。その始まりは明和年間からといわれ、武家のように豪奢な雛人形や武者人形を飾ることができない町人のために、素朴な素焼きの土人形を作り、人気となりました。その技術は現在も受け継がれており、数軒の窯元で製作されています。

今回、ご紹介するのは、現在も製作を続ける窯元の

花籠

 明治初期より、秋田県横手市に伝わる歴史ある土人形「中山人形」。初代の樋渡ヨシさんが義父の陶工、野田宇吉さんから粘土細工を習い、横手押絵や姉様人形からもヒントを得て製作をしだしたのが始まりといわれています。その後、農閑期の農家が市場などで販売したところ評判となり、横手を代表する郷土玩具として定着しました。華やかな色彩と、土人形としては非常に洗練されたデザインが特徴で、縁起物や歌舞伎の題材などを中心

御迎人形

 1000年以上の歴史を持つ、浪速の象徴であるお祭り『天神祭』。祭りの様子は、豪華ゲストがさまざまな見どころから生中継する力の入ったテレビ特番になるほど。そんな浪速っ子には欠かせない風物詩のクライマックスが、大阪天満宮から御神霊が船で御旅所へ向かう「船渡御」。かつて、この船渡御を迎えるために各町が思い思いに飾りつけた船で先導していました。先導船には、「御迎人形」と呼ばれる浄瑠璃や歌舞伎の登場人物を

寂光院紙つばめ

 木曽川沿いの継鹿尾山中腹にある寂光院。尾張最古刹として知られ、本尊の千手観音菩薩は日本武尊の作と伝えられています。今回ご紹介する紙つばめは、寂光院の例大祭にて売られていたもので、参拝客たちは、このツバメを“田の害虫を食べてくれる観音様の使い”として、田の畔にたくさん立てて五穀豊穣を祈りました。棒に取り付けられたツバメを風に向けると、ふわりと浮き上がり、尾羽根がくるくると回り、見事に飛翔します。田

からくり玩具

 中山道六十七宿のちょうど真ん中、江戸からも京都からも34番目の宿場町である奈良井宿。難所である鳥居峠越えに備えて旅人たちがこぞって宿をとったため、多くの旅籠が立ち並び、「奈良井千軒」と呼ばれるほど栄えた場所です。現在は、国の重要伝統的建築物群保存地区に選定され、当時の街並みが保存された観光地として賑わっています。上質な木材が豊富な木曽の山間なだけに、曲げ物や漆器などの木工細工が盛んで、旅人たちの

坊ノ谷土人形

 ピンと立った黒い耳に、虎模様の斑。前回ご紹介した愛知県の三河系招き猫は、隣県の招き猫にも大きな影響を与えました。静岡の「坊ノ谷土人形」もその一つ。明治18(1885)年に初代高木弥左エ門によって始められた歴史ある土人形でしたが、昭和初期に廃絶して以来、忘れ去られていました。その後、地元の郷土玩具愛好会が原型を発見して研究が進み、高木家のご子息と協力して数多くの人形を復活させています。
 招き猫は

大浜土人形

 良質な粘土に恵まれ、三州瓦の生産地として知られる三河地方。1780年頃、京都の伏見人形の技術が伝わり、人形が盛んに作られるようになった地域です。中でも、躍動的で迫力のある歌舞伎役者の人形はとても評判となり、行商人が天秤棒をかついではるばる遠くまで人形を売り歩いたといいます。今回ご紹介するのは、そんな歌舞伎ものと並ぶ代名詞的モチーフの「招き猫」。耳が黒くて長く、体には虎模様の斑が入るこの様式の招き

中湯川人形

 会津若松市郊外にある東山温泉。かつては山形県の上山温泉、湯野浜温泉と並び、奥羽三楽郷と呼ばれた温泉郷です。伊達政宗や上杉景勝など、名だたる武将たちも歴戦の傷を癒やしたのだとか。この名湯のみやげもんとして人気なのが、「中湯川人形」と呼ばれる土人形。東北の温泉郷みやげといえば、“こけし”が真っ先に思い浮かびますし、福島でいえば、三春張り子をはじめとした張り子細工が盛んな土地柄です。そんな中、なぜ東山

北辰の梟

 埼玉県秩父市にある秩父神社。ご鎮座2100年の歴史を誇り、天正12(1584)年に徳川家康が奉納した本殿は、豪華絢爛な彫刻が施され、左甚五郎による「つなぎ龍」や「子育て虎」などの傑作が残る、素晴らしい文化財です。今回ご紹介するのは、この神社にて授与されている「北辰の梟」という縁起物で、本殿に施された梟の彫刻をモチーフにしています。この彫刻の梟は、体は社殿のある南を向いていますが、首は180度真逆