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ゴジラ

大事なのは、役者の心を開くのではなく、まず自分自身を開くこと。

『東京奇譚集』に収録された村上春樹の短編を、松永大司監督が自らの脚本で映画化した『ハナレイ・ベイ』は、美しいハワイの風景の中、大切な息子を失った母の喪失感を静かに描いていく物語。もとは役者だった松永監督が憧れ、その作品やワークショップを通して演出法を吸収していった橋口亮輔監督に、まずはこの作品の感想から聞いた。

橋口亮輔 拝見して、1作目の『トイレのピエタ』とは段違いだと思いました。感動しまし

崖地に浮かぶ、コンクリートボックス。

 崖から飛び出すように浮かぶ青い箱。箱の隅を欠くキューブ状の凹みや、箱の底にある丸い出っぱりは、いつか別の物体と合体しそうにも見える。1973年公開の映画『ゴジラ対メガロ』にも登場したというその姿は、今見ても未来的でスタイリッシュだ。
 この住宅を設計した宮脇檀は「カッコよければすべてよし」を口癖とする建築家だった。
「ラジカセが欲しいと言えば、“カッコよければ買ってもいいよ”
と返ってくる。子供

巨大生物

 その日人類は思い出した。ヤツらに支配されていた恐怖を……。鳥籠の中に囚われていた屈辱を……。
『進撃の巨人』はそんな黙示録めいた言葉とともに始まり、超大型巨人の出現をショッキングに描き出す。かつて人類が築いた城壁は、最大15mほどの巨人の脅威から身を守るものにすぎなかった。ところが体長50m超という規格外のデカさを持つ超大型巨人は、やすやすと壁に穴を開け人類を急襲する。
 50m級の巨大生物が

終戦、引き揚げ、日本での闘いが自分を支える大きな幹に。|宝田 明

仕事始めて3本目かな、「お前に今度主役をさせてあげる」、えーーー! 今まで「新人宝田明」と出ていたのが、一番右端の一番最初に書かれるんだ 真っ赤な台本にはカタカナでゴジラと書かれている。当時はゴジラって何ですか? という感じで。空想、長編、科学映画、今でいうサイエンスフィクションだよと。ゴジラは会社にとっても一種の賭けっていうかな? 日本は唯一の広島・長崎の被爆国家だし、昭和29(1954)年に第

守衛さんが背中を押してくれなかったら、今はないね。|宝田 明

 高校で演劇部に入ったんですが、学校に来る写真屋さんがいるじゃないですか、修学旅行とかで。その人に「宝田、東宝でニューフェイスを募集しているから受けてみないか」って誘われて。僕は大学受験のために一生懸命勉強してたんだけど、どうせ落ちると思っていたからね。そしたら、はがき一枚で「写真審査に合格したから一回、東宝に来てくれ」と。そのはがきを持って、渋谷から成城までバスに乗って、東宝撮影所前で降りた。み

ジャン・バルジャンかと思ったら俺の兄貴だったんだ。|宝田 明

 昭和22(1947)年に、ハルビン最後の引き揚げ団数百名としてやっと帰国というときに、僕のすぐ上の兄がソ連の強制使役へ行ったまま、ある日帰ってこなかった。周りの人たちに聞いても「帰ったんじゃないの?」って。それが1週間経ち、10日経ち、半年経ち、どこへ行ったかわからない。短冊みたいなものに「宝田まさお、我々は故郷に帰っているよ。新潟の村上だよ」と書いて、止まった駅でババッと貼って引き揚げた。道中

ソ連がどーんと満州に攻めてきて、明日の飯もなくなった。|宝田 明

 僕はね、父が朝鮮鉄道の技師だったので北朝鮮の清津で生を受けて、その後、満鉄に転勤となり満州で生活をしていました。昔は満鉄って言ったら国策会社として、肩で風を切るという感じでしたよ。色々なところを点々として終戦時は大都会ハルビンで、在満の小学校に通っていました。穀物も食料も満州は豊かだし、5つの大民族が相携えて、五族協和っていう四文字熟語が当時ありましてね。満鉄の社宅のすぐそばには中国人がたくさん