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漫画家

7年の「まんが道」を振り返る展覧会。

 誰しもが一度は目にしたことがあるだろう藤子不二雄Ⓐの作品。伊賀の里からやってきた忍者が普通の家庭に居候する『忍者ハットリくん』や怪物界のプリンスが人間界にやってきて大暴れする『怪物くん』など、漫画はもちろん、アニメ化や実写化もされ幅広い世界に愛される作品を手がけている。このような明るいギャグ漫画はもちろん、スポーツ漫画『プロゴルファー猿』、劇画で毛沢東の伝記を描いた『劇画 毛沢東伝』、自伝的な作

ネタ帳は、稲作でいうと苗床みたいなものなんです。|東海林さだお

 今は漫画と劇画が一緒になってるけど、僕の場合は漫画です、純粋な。だから漫画と文章ですね。文章の方は、昔は漫画家にルポをやらせることが結構あったんです。絵も描けるし。最初はそんなことで依頼があって増えていった。お肉屋さんのコロッケみたいなものです、おまけ(笑)。『漫画読本』で連載が始まり、それが『オール讀物』に移って、50年以上。始まると終わらない、全部2000回とかね。最初に僕を担当した編集さん

大変な時期がないと、ちゃんとした漫画家になれないんですよね。|東海林さだお

 4年、5年の間は月に1回、編集部に漫画を持ち込んでいました。いろんな傾向の漫画を描いて、最終的にサトウサンペイさんのようなサラリーマン漫画に落ち着いたんです。でもね、何しろ締め切りがないでしょ。「今日できないから明日でいいや」と、どんどん先延ばしにしちゃって。『週刊漫画TIMES』で連載デビューが決まってからは猛烈な勢いになって、寝る暇もないぐらい。『新漫画文学全集』というのが人気になったんです

漫画を持っていっても、4、5年は採用されませんでした。|東海林さだお

 中学2年の終わり頃に栃木から八王子に戻って。高校は進学校でした。隣に一橋大学があって、一橋を受ける人が多かった。僕も勉強に励んだけど成績が良くなくてね(笑)。真面目な高校で喫茶店に入ったことがない生徒がほとんどでした。部活をやると大学に受からないと(笑)。なので、部活はなしです。でも授業中に先生の似顔絵を描いて、みんなに回したりしていました。手塚治虫さんがデビューした時代で、みんな影響されてプロ

しまおまほ

「生まれた頃から自分の預金通帳があり、父がお年玉やお祝いでいただいたお金を入れてくれていました。何か欲しいものがあれば、“あれを買いたいから”と言ってお金を下ろしてきてもらうシステムでしたね」
 写真家の島尾伸三さんと潮田登久子さんを両親に持つ漫画家のしまおまほさん。幼少期は木造2階建てのアパートの一室に住み、ほかの世帯と家族同然の生活を送っていた。テレビやお風呂がなくても、洋服は全部誰かのお下が

本 秀康

「レコスケくん」の生みの親として知られるイラストレーターで漫画家の本秀康さんは、驚くべきことに、これまで得てきたギャラの大半をレコードに費やしてきたという。
「レコードくらいしか買いたいものがなかったんですよ。高校生の時にロックに目覚めて以来、ずっと買い続けてきました。といっても、その時々の生活水準に合わせて買えるものを買うってだけで、無理はしません。漫画家としてデビューした当初はサラリーマンもし

高城晶平

いつからか音楽を仕事にしたいと思っていた。高校で現メンバーの橋本翼さんと前身となるバンドを始め、大学時代には荒内佑さんも加わり、すでにceroの原型ができていた。

「大学を卒業する時も、特に就職活動はしませんでした。漠然と、あと2〜3年やるなかで何かきっかけさえあれば、いずれ音楽でやっていけるだろうみたいな確信がありました」
 
幼少期、『COMIC CUE』でサブカル的目覚めを得た髙城晶平さん

人間って美しい。忘れかけていた感覚を取り戻せるアート展。

 絵画や彫刻、現代のイラストレーションなどのアート作品のなかで、多くのアーティストが題材にし、鑑賞者の目を惹き付けるモチーフの一つが、女性を描いたものだろう。女性の美しい姿を表現した作品は、昔から世界中で愛されてきた。不朽の名作といわれるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」をはじめとして、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」や、ラファエロの描く聖母など、美しい女性をモチーフに描かれた作品の数々