
高層ビル


【60・120・180min.】街の隅々まで満喫せよ! 所要時間別、 大阪の過ごし方。
大阪人はケチだ、せっかちだなんて揶揄されがちだけど、ぼやぼやしていては時間がもったいない! という気持ちが強いのは確か。当然空き時間なんて概念は薄い。かといって、つまらないことに時間を費やすのも我慢できない(すべて在阪編集者調べ)。自ずと、ターミナル駅にある「ちょっと一杯」な店でも、オフィス街の喫茶店でも、立地に甘んじることなく、おもろく過ごしてもらいましょう、とクセは強めになる。これだけサービ

名建築で辿る、大阪の100年史。
味のあるレトロビルから最新の建築まで、なぜ大阪にはさまざまな年代の名建築が存在しているのだろう? 建築史家の倉方俊輔さんに教えてもらった、都市構造と、近現代の名建築から見える、大阪の100年史。
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大阪はカオティックな街だと思われがちですが、都市構造は明快です。ベースは豊臣秀吉による碁盤の目状の街割でした。近代に入り、政治、産業、交通手段の変化に合わせて新たな建築が造られ、街の造りも変化し

穏やかな風が吹くパースの街を歩く。
都市に隣接する公園としては世界最大級、ニューヨークのセントラルパークよりも広いキングスパークは、パース市民の憩いの場。スワン川越しに街全体を眺めることができる。西オーストラリア各地域のワイルドフラワーが植えられ、いわば植物のショーケースに。必然、ワライカワセミやマグパイなど、多くの野鳥が暮らす楽園にもなっている。

大都市の近郊に広がる、肥沃な大地の恵み。
大地の変化、という意味において旅の拠点たるパースは象徴的な都市だ。スワン川とその支流であるカニング川が合流する地点であり、街全体を見下ろすように丘がある。冬には雨が降り空気を潤すために、その丘には自然の森があり、都市に隣接する公園・キングスパークとして残されている。400ヘクタールもの敷地内には、およそ3000もの西オーストラリアの固有種が植えられ、ボタニカルガーデンとして整備され、大地の多様性

本当に恐ろしいのは、戦禍の中にあるあちらか、無自覚なこちらか?
ベイルートの青空を突き刺すように聳え立つ建設中の高層ビル。その建設現場と労働者を追いながら、シリア移民労働者の父の思い出がモノローグで語られる。内戦を逃れベイルートに亡命した(現在はベルリン在住)シリア人のジアード・クルスーム監督が目の当たりにした現実を、シャープな映像と削ぎ落としたサウンドで構成した映画『セメントの記憶』。世界60ヵ国で上映され、グランプリ34冠に輝いた本作について、2人の写真家

近代北海道の歴史はここから始まった。
北海道大学、通称「北大」の前身、札幌農学校が開校したのは1876(明治9)年のこと。旧東京大学よりも1年早い開校だった。箱館戦争が終結したのが1869(明治2)年だから、明治新政府がいかに重視し、その設置を急いだのかがわかる。当時、蝦夷地改め北海道にはロシア南下の脅威があった。ぼーっとしている余裕はない。北海道開拓は新政府の重要課題の一つだった。
それにしても、新しい国づくりの根幹に農業(酪農

文士たちも遊んだ「大森芸者」との夜。【大森海岸】
音楽家と人類学者の時空を超えたぶらり旅。前回の大森から移動して「大森海岸」へ。かつてこの地がビーチリゾートとして栄えた時代から現代まで続く「大森芸者」の文化を、体験学習(⁉)する。

横尾忠則
絵の具が床に散乱する、柔らかな光差し込むアトリエ。そこへフラリと自転車で現れた横尾忠則は、飄々と力むことなく人生を語ってくれた。「また遊びにいらっしゃい、次はサイケの話をね」。日本を代表する芸術家は、強い自我を撒き散らすことなく、流れるように生きている。「模写」を始めた5歳の頃のままに。

Salesforce.com
サンフランシスコのアパートの一室で1999年、Salesforce.comは誕生した。ソフトウェア業界の異端児としてクラウド・コンピューティングビジネスを始め、急成長を遂げる。2017年度の売り上げ予測は81億2000万ドル。13年、CEOであるマーク・ベニオフは瞑想の実践者だと公式発表した。来年完成予定のセールスフォース・タワーはサンフランシスコの最高層ビルとなり、各フロアには瞑想室が。
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