
30年代


『新味覚』●三重・四日市|餃子には牛乳がお作法。3世代にわたり愛される味。

旅行者未開の地。
大型商業施設が集結する博多駅周辺や天神など、観光に来たらマストな場所もいいが、地元人が推す穴場的なエリアにも行ってみない? 大通りから一本脇道へ。個性豊かな店との出会いが待つ注目のエリアを案内しよう。

名古屋の風景は朝。文/大竹敏之
名古屋の朝はモーニングである。そりゃ、朝だから当たり前だろ! と全国からツッコミが入りそうだが、ここで言うのは喫茶店のモーニングサービスのこと。コーヒーを注文するとトーストやゆで卵などが無料でついてくるシステムで、名古屋ではこれが一般化し、かつこよなく愛されているため、「モーニング」という略称で通じるようになっている。
このサービスは喫茶店以外の分野にも広まっている(うどん屋がコーヒーや茶碗蒸

ATON
2016年にデビューしたエイトンは、昨年末に、東京・表参道に初の直営店をオープン。一度袖を通したお客は虜になってしまうことが多い。その理由は、どこにもない、最上級の素材にこだわっているから。ディレクターの久㟢康晴さんは、大手アパレル会社で約20年間テキスタイル開発やディレクターを務めてきた人物。生産に関するノウハウを叩き込まれた経験から、日本全国津々浦々の工場とコネクションを持ち続けている。彼の考

無駄こそが生み出す、ゆとりある暮らし。
JANTIQUESオーナー/FUMIKA_UCHIDAデザイナー 東京都目黒区

上質なうえに、実用的で機能的。ベストを目指した完璧主義者。
ポルトガルに生まれ、1928年にリオデジャネイロに移住する。工芸スクール在籍時には〈ニュークレウス〉というグループを結成し、新しい表現手法に積極的に取り組んだ。30年代に入ると、設計士および家具職人としてのキャリアが始まる。富裕層に向け、上質な素材を用いた家具のデザインを手がける一方で、実用性や機能性も重視し、優美さと軽やかさの両立を目指すなど、近代的なデザインアプローチも行っていた。テンレイロは

食卓におけるモダン革命。
1904年オハイオ州生まれ。学生時代に彫刻を学び、舞台美術などに携わる。30年代初頭からデザイナーとして活動し、テーブルウェアの代表作であるアメリカン・モダンを発表。さらに食器洗い機に対応したカジュアル・チャイナなど、手軽で合理的な食器をいくつも手がけた。それらはジョージ・ネルソンが編集した〈ハーマンミラー〉のカタログにスタイリングされるなど、ミッドセンチュリーの食のシーンを象徴するものだった。5

世界的に敬愛される木匠。
1905年ワシントン州生まれ。マサチューセッツ工科大学で建築を学び、30年代は日本に滞在してアントニン・レーモンドの建築事務所に勤めた。44年からペンシルヴェニア州の工房で家具作りに専念し始め、無垢材を用いた家具を数多く手がける。46年、〈ノル〉でアームチェアを発表。52年にアメリカ建築学会からゴールドメダルを授与されるなど、木工の匠としての活動は早い時期から評価が高かった。現在は、ナカシマの工房

〈ハーマンミラー〉第4の男。
1904年ロサンゼルス生まれ。日本やアメリカなどで過ごし、30年代から抽象彫刻や舞台美術を手がけた。ジョージ・ネルソンは、ノグチが妹の誕生日のために制作したテーブルを見たのをきっかけに、彼を〈ハーマンミラー〉のデザイナーとして起用することを決めたという。またノグチはイームズ夫妻とも交流があり、夫婦でイームズの自宅を訪れ、食事する写真が残っている。世界的な彫刻家として大成していったノグチだが、そのデ