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30年代

ATON

2016年にデビューしたエイトンは、昨年末に、東京・表参道に初の直営店をオープン。一度袖を通したお客は虜になってしまうことが多い。その理由は、どこにもない、最上級の素材にこだわっているから。ディレクターの久㟢康晴さんは、大手アパレル会社で約20年間テキスタイル開発やディレクターを務めてきた人物。生産に関するノウハウを叩き込まれた経験から、日本全国津々浦々の工場とコネクションを持ち続けている。彼の考

上質なうえに、実用的で機能的。ベストを目指した完璧主義者。

ポルトガルに生まれ、1928年にリオデジャネイロに移住する。工芸スクール在籍時には〈ニュークレウス〉というグループを結成し、新しい表現手法に積極的に取り組んだ。30年代に入ると、設計士および家具職人としてのキャリアが始まる。富裕層に向け、上質な素材を用いた家具のデザインを手がける一方で、実用性や機能性も重視し、優美さと軽やかさの両立を目指すなど、近代的なデザインアプローチも行っていた。テンレイロは

エンタツ・アチャコから知ってます、僕は。|糸井重里

エンタツ・アチャコ(横山エンタツ・花菱アチャコ)を聴いたのはいくつの時だっただろう。小学校に入る前かな。「むちゃくちゃでごじゃりまするがな」ってアチャコのギャグが流行ったんですよ。テレビなんてまだない時代。ラジオの時代です。
 
で、昭和30年代。僕が小学生だった頃。中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ。子供たちを含め漫才が爆発的に広まったんです。まだテレビ前夜。その

花蓮文化創意產業園區

 3・3ヘクタールの広大な敷地に、酒造工場や倉庫だった26棟が立ち並ぶ文化公園。戦時中の空襲で大きな被害を受けたが、今でも1920年代〜30年代の建物が一部残っている。工場の移転に伴い、放置されていたこの場所がリノベーションされ、展示場やレストラン、ショップなどからなる複合施設として生まれ変わったのは、2015年のこと。以来、花蓮の文化発信地として親しまれている。中でも、人気が高いのは、スパニッシ

親子で古着を共有する。|阿部敏之/高大

 待ち合わせ場所の有楽町がざわついていた。クラシックすぎるタイドアップにカンカン帽を被り、ステッキの代わりに細巻きの傘。外国人旅行客が「東京ヤバイ!」なんていう言葉を添えてインスタにUPしていると容易に想像つくが、東京ではない。阿部さん親子が“ヤバい”のだ。ただ、2人がこのスタイルに辿り着くまでには紆余曲折あったようだ。高大さんの古着の芽生えは18歳。
「原宿の美容専門学校に入学するや“阿部って普

モダンガールに生きる。|淺井カヨ

 断髪、頬紅、ルージュに洋装。西洋文化の影響を受けた、大正末期〜昭和初期頃のモダンガール。外見と先鋭的な個性に憧れを抱き、装いとともに当時の暮らしを実践している淺井カヨさん。きっかけは、大学時代に図書館で出会った蕗谷虹児と高畠華宵が描いた“モガ”の絵だ。
「現代にはない品があって、すごくモダンで格好いいと思ったんです」
 2002年に上京し、2年後に『大正風花見会』という、大正時代風の格好をして参

白虎面

 近代化の波とともに次第に消えゆく玩具たちの写生画を数多く残した絵師・川崎巨泉。大阪・堺出身の彼は、浮世絵師として活動したのち、新聞広告の図案や風俗絵を描いていましたが、明治30年代中頃から玩具の収集と写生に目覚め、「おもちゃ画家」となった人物です。以前、本誌特集でも作品の一部をご紹介しましたが、その画は、様々なアングルからの描写に加え、細かなディテールカットまで丹念に描かれており、さらには、画の