序――秋のドイツとブルータス工場
『秋のドイツ』という映画があったけれど、それとはべつにドイツの秋はひどく寒い。ほんとうに嫌になってしまうくらい寒い。日なんてまるでささないし、おまけに天井の雨もりみたいなかんじのしょぼしょぼとした雨が降る。そんな秋のドイツを『ブルータス」のスタッフとついたり離れたりしながら、約一ヵ月間歩きまわった。
一般論から始める。
ドイツとはドイツ的日常の集積である。これはまああたりまえの話だ。認識とは誤解の総和であり、感動とは非感動の集合体である。我々が誰であろうと、我々がどこに行こうと、このコンテクストは不変である。我が何かに近づこうと努力すればするほど、状況との誤差は増大する。だから、というわけでもないのだけれど、僕はこの長い旅行のあいだ、何をも理解するまい、何をも志すまいと努力した。この手の努力は僕にとってはもっとも得意な作業のひとつである。
具体的にいうと、朝起きて近所を走り、ビールをたらふく飲み、散歩をし、日が暮れると映画かオペラか酒場に行き、土地の美味を食し、ぐっすり眠る。この繰り返しである。ハンブルクからケルン、ジルト、ベルリン、フランクフルト、と一カ月間このペースは崩れなかった。
それとは逆に同行した『ブルータス』スタッフの方法論は、すべての断片を過激に拡大することにあった。僕はそんな彼らの行動様式を便宜的に〈ブルータス工場(ファクトリー)〉と名付けたわけだが、正直なところ僕は一人の小説家として、どんなドイツ人と会うより、どんなドイツの風景を眺めるより、そのブルータス工場の作業ぶりを見ている方が楽しかったと告白せざるを得ないのである。しかしまあとにかく、ドイツの話。
Vol.1「運河に沿って——ドイツ的田園調布のありかた」

Vol.2「かくしてハンブルクの夜は更ける」

Vol.3「レパバーンとサッカーの不思議な結びつき」

Vol.4「B級映画、B級スナック。夜風が冷たいケルン慕情」

Vol.5「フランクフルト動物園のレストランとアリクイ」

Vol.6「どれをとっても甲乙つけがたいドイツ動物園事情」

Vol.7「午前十一時のハウプトバーンホフ」

Vol.8「御当地ソングならぬ御当地映画の凄さ、『ベルリンの闘い』」

Vol.9「ヴォルフガングの不気味レコード」

Vol.10「ドイツ的病気レコード事情について」
