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村上春樹の『続・古くて素敵なクラシック・レコードたち』:ショパン スケルツォ第3番 嬰ハ短調 作品39

村上さん自身が「趣味というより“宿痾”に近い」というレコード蒐集。所有するウン千枚の中から、村上さんが特に気に入っているクラシック・レコード486枚を紹介した『古くて素敵なクラシック・レコードたち』は、2021年6月に刊行されるやまたたく間にベストセラーに。「こんな個人的な趣味嗜好の本が……」と不思議がりつつ、「本に収まらなかったけど、まだ語りたいレコードはたくさんある」という村上さん。それならぜひこの場で!とお願いし、増補分をBRUTUS『村上春樹 下「聴く。観る。集める。食べる。飲む。」編』特集に寄稿してもらいました。

Photo: Keisuke Fukamizu

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ショパン
スケルツォ第3番 嬰ハ短調 作品39

高校生のとき初めて聴いたショパンのスケルツォがこの3番で、それ以来この曲に思い入れがある。そのときの演奏はドイツ・グラモフォンから出ていたリヒテルの実況盤(「イタリア楽旅」)で、これは目を見開かされるように素晴らしい演奏だった。

一音一音が鋭く尖っていて、そこには理屈抜きでほとばしり出る心持ちがあった。陽光を受けたクリスタル・ガラスのような、曇りなく光り輝く演奏だ。 

このメロディア盤は後年のスタジオ録音で、実況盤ほどのキレキレ感はないものの、リヒテルらしい「粘り腰」の効いた奥深い演奏だ。音楽は見事にピアニストの手中に収められ、強靱な(そして同時にしなやかな)生命を吹き込まれる。個人的には実況盤の方が好きだが。

スヴャトスラフ・リヒテルが演奏した、ショパン「スケルツォ第3番 嬰ハ短調」レコードジャケット
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ) CBS (Melodia原盤) 36681(1977年)

アシュケナージ……このアシュケナージの演奏に、非難すべき点はおそらく何ひとつないと思う。均整の取れた優れた演奏で、音は美しく、技巧に危なげはない。しかし聴いていて、もうひとつ心が揺さぶられない。聴き終えて、魂に突き刺さってくるものがないのだ。

ここにあるのは、楽譜に書かれた音符を正しく流麗に弾きこなしているだけの音楽だ(それが簡単な達成ではないことはよくわかるが)。まだ30歳なのに、ある程度音楽の枠を定め、落ち着くべきところに落ち着いてしまったような印象を受ける。

ウラジミール・アシュケナージが演奏した、ショパン「スケルツォ第3番 嬰ハ短調」レコードジャケット
ウラジミール・アシュケナージ(ピアノ) 日London L25C-3051(1967年)

タマシュ・ヴァシャーリのショパンもやはり、心揺さぶられるものがあまり感じられないショパンだ。安定した自然な演奏で、その姿勢に好感は持てるのだが、これというプラスのポイントも見当たらない。スケルツォはショパンの残した作品群の中でも、最も深く激しく聴き手の感情に突っ込んでくる形式であると思うのだが、そういうpoignantな(痛切な、胸を刺す)要素が、残念ながらここには見当たらないのだ。

タマシュ・ヴァシャーリが演奏した、ショパン「スケルツォ第3番 嬰ハ短調」レコードジャケット
タマシュ・ヴァシャーリ(ピアノ) Grammophon 619 451(1964年)

ポゴレリッチの演奏は、審査員のアルゲリッチ退出など、大きなスキャンダルを巻き起こした第10回ショパン・コンクールにおける実況録音だ。それだけでも話題性のあるレコードなのだが、そんな業界話みたいなことは抜きにして、これは実に優れた演奏だ。

完成された演奏とは言いがたいし、あちこち荒っぽい部分も見受けられるものの、何よりここには自分の音楽を作ろうという、一人の青年の熱い志がある。それはアシュケナージやヴァシャーリのきれいに収まった演奏には見受けられないものだ。名演奏とは言えないかもしれないが、僕はこの若きポゴレリッチ(ポスト・グールド世代の代表選手)の強いのめり込みを評価したい。

そしてそののめり込みは決して空回りしてはいない(同じ盤に収められたマズルカ3曲も立派な出来だ)。音楽とは結局、志ではないか。

イヴォ・ポゴレリッチが演奏した、ショパン「スケルツォ第3番 嬰ハ短調」レコードジャケット
イヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ) 日CBS・SONY 28AC-1258(1980年)

巨匠ルービンシュタイン……アシュケナージやヴァシャーリの行儀の良い演奏を聴いたあとでは、彼のスケルツォ演奏はなんと生き生きと、色彩豊かに感じられることだろう。

1951年録音のモノラル盤の演奏が素晴らしいが、59年録音のステレオ盤もそれに劣らず凄い。リヒテルの実況盤演奏も見事だとは思うが、一期一会的な「出会い頭」という要素がそこにはある。しかしルービンシュタインの凄さはまさに「常駐」の凄さだ。四隅をしっかりと揺らぎなく押さえつけて、その上で思うがままに曲を弾ききっている。強靱な指使いだが、その強さのせいで音が乱れたり濁ったりすることはない。

音色は実に見事に、思うがままにコントロールされている。曲の後半、右手の奏でる上昇・下降のパッセージの繊細にして野放図な美しさはまさに完璧だ。魔術的と言ってもいいほどに。

モノラル盤とステレオ盤、演奏の傾向や質はほとんど変わりないが、ステレオ盤の方が音がずっとクリアなので、隅々まできれいに音楽が聴き取れるし、一般的にはこちらの方が好まれるだろう。

しかし僕個人的には、モノラル盤の少しくぐもった音塊の中から聞こえてくるルービンシュタインの熱い魂の叫びのようなものに、より強く心を惹かれてしまう。どちらか一枚を取れと言われたら、モノラル盤の方を選ぶだろう。新旧両者を何度も聴き比べたのちにそういう結論に達した。

ホロヴィッツの弾くショパンは、ルービンシュタインのショパンとはひと味違っている。ルービンシュタインが演奏会の後のホロヴィッツの楽屋に訪れた話を読んだ。
ホロヴィッツはそこで彼に言った。「いや、お恥ずかしい。今夜はいくつか音を弾き損ないました」。それを聞いてルービンシュタインは思った。「一晩にいくつか音を弾き損なうくらいで済んだら、おれなら大喜びしてるところだけどな」と。

この話は2人の演奏スタイルの違いをよく表している。ホロヴィッツの完璧主義は研ぎ澄ました刃物のように鋭く美しい。ルービンシュタインが心持ち一気に弾ききってしまうところを、ホロヴィッツは狙い澄ました感性で正確に貫通する。

どちらもぴたりと決まると神業のように凄いものが生まれるし、外すと(ときどき外す)少しばかり首を傾げるものになってしまう。このスケルツォ3番に関していえば、ホロヴィッツの演奏は今ひとつ説得力に欠けるかもしれない。キレはいいのだが、タメがない。押しは有効だが、引きが弱い。同じ日に吹き込んだ「夜想曲」は実に美しいのだけれど……。

ウラジミール・ホロヴィッツが演奏した、ショパン「スケルツォ第3番 嬰ハ短調」レコードジャケット
ウラジミール・ホロヴィッツ(ピアノ) 日RCA Victor RVC1547 (monoショパン集成box)(1957年)

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