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村上春樹の『続・古くて素敵なクラシック・レコードたち』:モーツァルト クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581

村上さん自身が「趣味というより“宿痾”に近い」というレコード蒐集。所有するウン千枚の中から、村上さんが特に気に入っているクラシック・レコード486枚を紹介した『古くて素敵なクラシック・レコードたち』は、2021年6月に刊行されるやまたたく間にベストセラーに。「こんな個人的な趣味嗜好の本が……」と不思議がりつつ、「本に収まらなかったけど、まだ語りたいレコードはたくさんある」という村上さん。それならぜひこの場で!とお願いし、増補分をBRUTUS『村上春樹 下「聴く。観る。集める。食べる。飲む。」編』特集に寄稿してもらいました。

Photo: Keisuke Fukamizu

モーツァルト
クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581

数が多いので、「独墺演奏家」編と「それ以外編」に分ける。ホームとアウェイ。まずはホームの独墺編。それぞれに優れた演奏なので、どれか選ぶのはなかなかむずかしい。

ボスコフスキーは、ウラッハのあとを継いでウィーン・フィルのクラリネット首席奏者になった人だ。2人は奇しくもほとんど時を同じくして、楽団の僚友たちと共にこの曲を吹き込んでいる。

聴き比べると、ウラッハの演奏の方がより流麗で、しっとりとチャーミングであり、ボスコフスキーの方はそれに比べるとより素朴で、ナチュラルだと言えるだろう。弦セクションははっきり言って、コンツェルトハウスSQ(SQ:弦楽四重奏団の略記。以下同)の方がより魅力的だ。ウィーン八重奏団の弦が劣っているというのでは決してない。

アルフレート・ボスコフスキーが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
アルフレート・ボスコフスキー(クラリネット) ウィーン八重奏団 London CS-6379(1956年)

ただ、このレコードでのコンツェルトハウスSQが、図抜けて素晴らしいのだ。ウラッハのクラリネットと4人の奏する弦が、とにかく得も言われぬ美しい絡み方をする。まるで心を読み合うかのように、音の動かし方がぴたりと合っている。それと比較されると、ボスコフスキー組はやはり分が悪い。彼らの演奏には独自の良さが十分あるのだが、それでもなお。

ちなみに音はLondon盤の方が良い(僕の持っているウェストミンスター盤は日本再発なので、音が多少劣化している可能性はあるが)。

レオポルト・ウラッハが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
レオポルト・ウラッハ(クラリネット) ウィーン・コンツェルトハウスSQ 日Westminster VIC5237(1956年)

ライスターはベルリン・フィルの首席奏者だったので、楽団の仲間たちとチームを組んでいる。そこから出てくる音は、ウィーン派とはけっこう違って聞こえる。音がしっかりしているというか、音楽の形式や構造がよりクリアに見える。

しかしそのぶん、連綿とした(あるいはなよっとした)ウィーン情緒のようなものはそこには求めがたい。あくまで持ち味の違いだ。こぬか雨の降る午後にはウラッハを聴いて、すかっと快晴の朝にはライスターを聴く……なんてわけにもいかないだろうしな。

カール・ライスターが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
カール・ライスター(クラリネット) ベルリン・フィル・ゾリステン Grammophon 138 996(1965年)

さて、カラヤンが決然と席を蹴って、ベルリン・フィルから遠ざかる原因となった美女、ザビーネ・マイヤー。共演するフィルハーモニア四重奏団ベルリンは、ベルリン・フィルが母体となっている。このレコードは1982年6月に録音されたが、その秋にはマイヤーは、ベルリン・フィルの楽団員投票の結果、楽団加入を否決されることになる。いろいろと事情がややこしそうだ。

彼女のクラリネットの音色はしっかり芯が通っているが、決して太くはない。太くないぶん動作がやわらかく、表情は繊細で微妙な動きを見せる。それでいて軟弱に流れるようなことはない。つまりモーツァルトの音楽にぴったり、ということになるのかもしれない。フィルハーモニアSQの響きもとても美しく、とくに最終楽章における5人の音楽の流れは絶妙だ。録音も優れている。

ザビーネ・マイヤーが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
ザビーネ・マイヤー(クラリネット) フィルハーモニア四重奏団ベルリン DENON OS-7190-ND(1982年)

独墺以外の演奏家によるモーツァルトのクラリネット五重奏曲。とくに国籍を区別する必要もないのだが、一回のスペースに収めきれなかったのでとりあえず。

1970年代にピーター・ゼルキンやストルツマンなど、アメリカの若い世代の演奏家が集まって組織した演奏団体、「タシ」。チベット語で「幸運」という意味だ。ストルツマンの演奏はどこまでもスムーズで、するすると気持ちよく流れていく。

ユニットのまとまりも良い。好感の持てる、素敵なモーツァルトだ。クラリネットという楽器をこよなく愛したモーツァルトが、その人生の最終期に辿り着いた至福の境地を、アメリカの(当時の)若者たちがナチュラルに闊達に歌い上げる。

リチャード・ストルツマンが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
リチャード・ストルツマン(クラリネット) TASHI RCA AGL1-4704(1978年)

デヴィッド・オッペンハイムは1922年生まれのアメリカ人。クラリネット奏者であると共に、プロデューサーとしても有能で、コロムビア・レコードのクラシック部門の部長として腕をふるった。

本人がプロデューサーだから意図的にそうしたのかもしれないが(新即物主義とか)、ほとんど残響ゼロの超デッドな録音状態で、最初の一音からかさかさとして潤いのない印象を受ける。肉付けを欠いた一種のスケルトン状態。これはどう考えてもモーツァルトの室内楽を鑑賞する音ではない。

演奏がどうこうという以前に、聴いていて疲れてしまう。同じ顔合わせのブラームスの五重奏曲では、音はここまで極端にデッドではないのだが、なぜだろう?

デヴィッド・オッペンハイムが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
デヴィッド・オッペンハイム(クラリネット) ブダペストSQ 米Columbia ML 5455(1958年)

ランスロはフランス人だが、ここでは南西ドイツのバルヒェットSQと組んでいる。ランスロのクラリネットの音色は他の誰とも似ていない。多少金属的な響きのある、艶やかな美音だ。そしてフレージング、音の動かし方もかなり独自のものだ。

そこには個性を超えた、個人主義的な気概のようなものが感じられなくもない。弦セクションはそれに合わせて、絡み合うというよりは、むしろ背後から守り立てるようなかたちで音楽をこしらえていく。ちょっと変わった語り口のモーツァルトだが、最後まで面白く聴かせてくれる。

ジャック・ランスロが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
ジャック・ランスロ(クラリネット) バルヒェットSQ 日Erato ERA2079(1959年)

ギス・カルテンはオランダ出身のクラリネット奏者で、テル・アビブのオーケストラで首席奏者をつとめていたというくらいのことしかわからない。彼名義のレコードもこれ一枚しか出ていないようだ。もちろんまったく名前を耳にしたことはなかったが、このSABAというドイツのレコード会社が昔から贔屓なので(音が良い)、中古屋で目にしてすぐに買ってしまった。

BUS Quartettという四重奏団も正体不明だ。しかし内容はかなり優れている。クラリネットはきりりとストレートな音色で、技術的には文句なし。弦楽四重奏団も音がよく引き締まっている。全体的に無駄のないクリーンな演奏で、細部まで目が行き届いている。そして音も良い(よかった!)。

ギス・カルテンが演奏した、モーツァルト「クラリネット五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
ギス・カルテン(クラリネット) BUS四重奏団 SABA SB 15036 ST(1965年)