給料が入ったら、ほとんど飲んじゃってましたね。|仲條正義

卒業するときに僕はのんきなこと考えてて、エラい先輩がいたり、厳しい会社に行くのやだなって思って。だから基本的に怒られてた、「君、何考えてんだ」って(笑)。それで少しは修業しなきゃ駄目だって先輩のいる資生堂に行きなさいと。でも資生堂は給料9000円だったんですよ。安い方だった。味の素が1万3000円近くていいなと思ってたんですが(笑)。資生堂に入ったら大変でした。朝は8時半に行かなきゃなんないし、

フリーになってからは、その日暮らしをしていましたね。|仲條正義

独立してからは、親父とお袋がいる池袋の家で2、3年やってました。僕のところに来る仕事は、遊び友達みたいなやつが「これやってくれよ」っていうような仕事で、鳴かず飛ばず、まあ飛ばず飛ばずだな(笑)。その日暮らしをしてました。福田繁雄と江島任という友人と、丸善にあったギャラリーでちょいと展覧会やろうよって話になったことがありまして。夏場に日宣美の展覧会が髙島屋の大きなホールでやるっていうんでそれにぶつけ

地域の資源を活かして、町づくりを面白がる地元の人と、経済中心の社会に疑問を持つ都会の人が地方で交わる。

海、山、川など自然に恵まれた環境と資源、人とのつながり。地方にあるものを求めて、ライフスタイルとして、移住や2拠点生活を選択する人や、地域に根づいてビジネスを起こす人が増えているいま、日本の地方に、新たなコミュニティが生まれている。

僕は母親に、100%愛されたんですよね。|谷川俊太郎

 出身は杉並で慶應病院で生まれました。帝王切開なんですが、それが自分に影響していると思い込んでいるところがあるんです。普通の分娩、狭い産道で苦労して出てこないで、桃太郎さんみたいにパカッと生まれちゃったと。つまり、生誕の苦労がなかった(笑)。育ったのは今も住んでいる東京の杉並で、家は違いますけど、同じ土地です。子供の頃は虚弱児童でしたね。すぐ風邪をひいては熱を出して寝てるみたいな。幼稚園に行っても

小さな頃から細かくこちょこちょ描くのが好きだった。|藤城清治

生まれは大井町です。きょうだいは姉と2人で、父は三菱銀行の銀行員でした。調査役や検査役として、また銀行関係の本を出してもいました。とにかく真面目で堅いというか、夜は6時には家に帰っているような人でした。母は小学校の先生をやった、割合と融通の利く人で、僕が絵を描くのを応援してくれていました。小さい頃から絵ばかり描いている無口な子と思われていたみたいでね、母が先生に相談したら「絵を描いてみんなに見せた

みどり荘

 目黒区・青葉台に、知る人ぞ知るアンダーグラウンドなコワーキングスペース〈みどり荘〉が登場したのは、4年前の2012年。しかし、オーガナイザーの小柴美保さんの脳裏にみどり荘へとつながる構想が漠然と芽生えたのは、さらに遡ること4年前の2008年のことだという。 「その年の9月にリーマンショックが起きたんです。当時私は投資銀行に勤めていたのですが、アップルの株価が上がり、ソニーの株価が下がるのを目の当

2つの挫折を経験して、作家の道は駄目だとわかった。|田原総一朗

 1学期までは聖戦だと言ってた先生が、2学期になって実は間違った戦争だった、侵略していたのはアメリカやイギリスではなく、日本だったと。子供なりに、大人がもっともらしい口調で言うことも、新聞もラジオも信用できないなぁ、国も国民を騙すことがあるんだなぁと強く思った。これが僕の原点です。だから今も非常に疑り深いですよ。メディアなんて信用できないと思ってる。だから自分の目で、耳で直接確かめるんです。僕は今

注目のキーワード