バレリーナ

きっかけ/「バレエを始めたのは福岡の幼稚園の頃。当時の記憶はないですが、母親いわく、幼稚園のお遊戯会でとてものびのびと楽しそうに踊っていたから、向いているかも? と思い習わせてくれたそうです。以来バレエがとにかく楽しくて、部活感覚で続けられました」。高校生まで続けたのだからと大学受験と並行して東京バレエ団のオーディションも受けてみたところ、見事合格。

オペラ歌手

きっかけ/父親は伴奏家で音楽大学の教授、母親もピアノの先生という音楽一家に生まれる。「3歳頃からピアノには親しんでいたけど、教室に通ったのは中学生から。でも練習が嫌いでレッスンは長続きせず、転機は高校生。音大声楽科の教授だった同級生の母親に歌を勧められ、導かれるままに音大を受験し、声楽科に合格。どうやら私の性格は、ピアノより歌向きだったみたいです」

俳優、劇団EXILEメンバー

きっかけ/「札幌での高校時代はバンドを組み、本気で歌で食べていこうと思ってました。今思えばすごく甘かったけど(笑)。なんとか歌で勝負したくて『VOCAL BATTLE AUDITION』に参加したけど、結果は2次審査で落選。でも、それが縁で事務所から俳優をやらないかと誘われたんです。当時は演技に興味はなかったけど、何でもいいからチャンスを掴みたい一心で〈EXPG札幌校〉 で歌と演技のレッスンを始め

我々は日本という国に、棄てられたんです。| なかにし礼

終戦は紛れ込んで逃げた軍用列車の中。6歳の終わりの頃でした。そこで我々と関東軍の中国人兵士たちとの立場が逆転するわけです。今、天皇陛下がポツダム宣言を受諾して日本は負けたと。軍用列車には日本の軍人がたくさん乗っていましたが、彼らは武装解除されて連れていかれてしまった。我々もすべての荷物を取られてね。僕は子供でしたから、悔しいも悲しいもなかった。神風が吹くとも、日本が勝つとも思っていなかったので、特

ジャン・バルジャンかと思ったら俺の兄貴だったんだ。|宝田 明

 昭和22(1947)年に、ハルビン最後の引き揚げ団数百名としてやっと帰国というときに、僕のすぐ上の兄がソ連の強制使役へ行ったまま、ある日帰ってこなかった。周りの人たちに聞いても「帰ったんじゃないの?」って。それが1週間経ち、10日経ち、半年経ち、どこへ行ったかわからない。短冊みたいなものに「宝田まさお、我々は故郷に帰っているよ。新潟の村上だよ」と書いて、止まった駅でババッと貼って引き揚げた。道中

エルヴィスの背景が、私にはジャズと重なって見えました。|湯川れい子

コンボという喫茶店では、鼓膜が破れるような音量で音楽がかかっていました。お客さんはほとんど黒人の兵隊さん。「これが今、NYで盛んに台頭してきているジャズなんだ」って。即興演奏で譜面なんかない、黒人が自分のアイデンティティとして自己主張する音楽だと言われて。みんな目をつむりながら会話もなく聴いているんです。衝撃的でした。その中に早稲田の学生だった大橋巨泉さんや、まだ無名の渡辺貞夫さんとかがいらして、

ソ連がどーんと満州に攻めてきて、明日の飯もなくなった。|宝田 明

 僕はね、父が朝鮮鉄道の技師だったので北朝鮮の清津で生を受けて、その後、満鉄に転勤となり満州で生活をしていました。昔は満鉄って言ったら国策会社として、肩で風を切るという感じでしたよ。色々なところを点々として終戦時は大都会ハルビンで、在満の小学校に通っていました。穀物も食料も満州は豊かだし、5つの大民族が相携えて、五族協和っていう四文字熟語が当時ありましてね。満鉄の社宅のすぐそばには中国人がたくさん

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