アート

篠山紀信 × 細谷 巖|40年ぶりに出会った巨匠2人、彼らが企むこと。

BRUTUSCOPE

No. 939(2021.05.17発行)
続・花と花束。
細谷 巖(左) 篠山紀信(右)

 写真家・土門拳、グラフィックデザイナー・亀倉雄策などを擁し日本文化を海外に紹介、そのデザイン性において、今も高く評価されるグラフィック誌『NIPPON』。この雑誌を制作した日本工房に在籍した信田富夫。村越襄、波多野富仁男らが設立したのがライトパブリシティ(以下ライト)。亀倉雄策、原弘、田中一光らが作った日本デザインセンターとともに、戦後の日本の広告ビジュアルを常にリードしてきた、このクリエイティブなプロダクションに、篠山紀信が在籍していたことはよく知られている。

「高校卒業するとき、僕は次男だから、なにをやってもいいって言われてね。普通はいい大学に入って、いい会社に入って、定年までそこで働くっていう時代。僕もそのつもりだったんですよ。でも、落ちちゃって(笑)。そこで、はたと思うんです。そんな人生を自分は求めているのかな? って。そんなときに新聞のサンヤツで、日本大学の写真学科の募集があってね。その時代、写真雑誌はたくさんあるし、日本のカメラメーカーもとても元気だったしね。で、写真をやろう! と決めたんです」。同期に写真家・沢渡朔のいる日藝(通称)に通う篠山は、同じ時期に、重森三玲の次男であり、写真批評家の重森弘淹、写真雑誌『ロッコール』元編集長の玉田顕一郎らが立ち上げた2年制の東京フォトスクール(現・東京綜合写真専門学校)で写真の実践を学んだ。スクール卒業時、講師に「ライトパブリシティの就職試験があるから、受けてこい!」と言われ、受験、合格する。篠山20歳のとき。

 当時のライトには、コピーライターの秋山晶(現・ライトパブリシティ代表取締役CEO)、土屋耕一。1964年東京オリンピックのポスターが世界中で高く評価された写真家・早崎治。そしてデザイナーとして和田誠。「キラキラした世界の住人」(篠山談)の中心に、細谷巖もいた。細谷は1954年、18歳にしてライト入社。篠山が出会った頃には、すでに入社8年目。バリバリのエースアートディレクターとして活躍していた。細谷は、その後《キユーピーマヨネーズ》シリーズ、「ケンとメリーのスカイライン」のコピーで知られる《スカイライン》、「男は黙ってサッポロビール」の《サッポロビール》の広告ビジュアル、1972年の札幌オリンピックのポスターデザイン、《カロリーメイト》のパッケージデザイン、清原和博らが在籍した常勝時代の西武ライオンズのユニフォームデザインなど、幅広い分野で活躍。

 時代の寵児として、そして現在も活躍するこの2人。しかし、ライト時代の仕事はごくわずかだという。しかも会うのは40年ぶり。にもかかわらず、対談が行われた、この日はライト創立70周年の記念日(2021年4月9日)。今なぜ、細谷は篠山の元に現れたのか。

クリエイティブの核は、ライトパブリシティにある。写真展『新・晴れた日 篠山紀信』に施されたある仕掛け。

5月18日から東京都写真美術館で始まる篠山紀信の写真展。このポスターと図録のデザインを手がけたのが、細谷巖だ。約40年ぶりの再会。今回のデザインワークにおいても、会って打ち合わせすることも電話すらもしなかったという2人。篠山がこのポスターに仕掛けられた思いを初めて聞く。

細谷 巖
篠山紀信
篠山紀信
細谷さん、もう40年ぶりですか、お久しぶりでございます。今日はライトの70周年創立記念日だそうで。おめでとうございます。でも、こんな日に、ここにいていいんですか?
細谷巖
いいんですよ。記念日なんだから、ここにいるんですよ。いきづくっていうのは、いいですね。こうやって会えるわけですから。今日はね、僕はしのさん(篠山)に会えるっていうんだから、嬉しくて、どきどきわくわく、と同時にビクビクしてきたわけですよ。ポスターのことで叱られるんじゃないかってね(笑)。
篠山
最高のポスターじゃないですか! 僕はすごく気に入っているんです。今回の写真展は僕にとって最初で最後ともいえる、僕の写真家人生を代表するような展覧会ですから。この大切な写真展には、やっぱり細谷さんにお願いしたかったんです。そしたらね、想像以上のポスターが仕上がってきて。もうね、奇跡ですよ、コレは。
写真展ポスター
細谷
なんでそんな大切な写真展なのに、僕に仕事をお願いしたのかなって。それが聞きたくてね。ライトにいるとき、僕らはほとんど仕事をしてないじゃないですか。『キヤノンサークル』の表紙くらいじゃないかな。
『Canon CIRCLE』1964年|細谷は、この写真誌の表紙構成と中ページのレイアウトを3年間担当した。篠山とは、1年間組むことになる。写真家とデザイナーの相乗効果について考える起点になったと細谷は語る。
『Canon CIRCLE』1964年|細谷は、この写真誌の表紙構成と中ページのレイアウトを3年間担当した。篠山とは、1年間組むことになる。写真家とデザイナーの相乗効果について考える起点になったと細谷は語る。
篠山
ライトに入りたての頃は、漁網とか撮ってましたから(笑)。ライトにいる人たちはみんなキラキラしていた。村越襄さんなんて、トライアンフのTR3で撮影に来てたりして。ものすごくカッコよかった。細谷さんも雲の上の存在で、仕事をご一緒できるなんて思ってもなかったですよ。こういう人たちが僕を引っ張り上げてくれた。
細谷
しのさんは、まだ大学生なのに「助手なんてやらない!」なんて啖呵切っていて。すごい面倒なのが入ってきたなって思ってましたよ(笑)。
篠山
なんにも知らないからね。怖いもの知らず。若気の至りですよ。
細谷
学生の頃から活躍していたのは知っていたけど、すぐに、あれよあれよと光り輝いていって。だからさ、仕方なく一緒に仕事しようと思ったんです(笑)。
篠山
『キヤノンサークル』の撮影のことはよく覚えています。当時、ライトで撮影っていうと、三浦の諸磯浜でしていました。で、僕は、その浜に、自然光のスタジオを建てて撮ろうと言い始めるわけです。今思えば、若者の欲望全開。そこにスタジオを建てるよう、地元の方々を説得してくれていたんですね、細谷さんが。
細谷
スーパーフォトグラファーになる、図々しさがあったよね。図々しいっていうのは、ネガティブではなく、本当にいい言葉。この1960年代は、アートディレクターっていう存在が、グイグイと出てきた時代だったよね。アレクセイ・ブロドヴィッチが手がける『ハーパーズ バザー』、アレクサンダー・リーバーマンの『VOGUE』なんかをライトは買っていて。僕は、それが届くと日曜日に会社に行って、勝手に切り抜いたりして、よく怒られましたよ。
篠山
当時、銀座にはイエナ洋書店があってね。僕もよく立ち読みしに行ってましたよ。でも当時は船便だから、届くのは、発売されて3ヵ月くらい経っている。でも金がある写真家は、航空便で買って、さっと真似をする。そうすると、その人は、優秀なカメラマンだ! って言われたりするんですよ。
細谷
ヌーベルバーグや天井棧敷……、新しいカルチャーがどんどん出てきたキラキラした時代。僕は、『太陽がいっぱい』の撮影監督のアンリ・ドカエが好きでさ。しのさんの写真には、彼の世界観に共通するものがあるなって、当時思っていましたよ。その後、しのさん初めての写真集篠山紀信と28人のおんなたち』(1968年刊)のデザインを頼まれるんですよね。あの頃のライトには、村越襄、和田誠、浅葉克己、小島良平……綺羅星のごとくスターデザイナーがいたんだけど、なんで僕だったの?
篠山
それは尊敬していたからですよ。でもさ、細谷さん、なんも教えてくれなかったよね。僕に仕事を教えてくれたのは、村越さん。だから、なんだあのヤロー! っていうふうにも思ってました(笑)。
細谷
生意気でしたからね。それは今も同じだけどね。そして、行動力もすごかった。篠山紀信はセンスも精度もすごいんだけど。群衆を撮っているじゃないですか。群衆を従わせる強烈な力があるってことです。あれは弱い写真家じゃできない。でもさ、しのさんのその行動力、なに食べてたら、身につくの?
篠山
嫌なことはしないって、決めてますけどね。
細谷
でも、嫌なことってあるじゃない。
篠山
写真を撮りに行くっていうときの僕の気持ちは、いつも晴れた日なんです。雨が降ろうが、曇っていようが、対象が人であろうが、風景であろうが、事件であろうが、なんでも。そういうものに向かう気持ちはエネルギーに満ちていて。よし! 撮ってやるぞ! って。今回の写真展のタイトルもそんな思いから『新・晴れた日』ってなったんです。
細谷
『28人のおんなたち』の編集は、山岸章二さんでしたね。カメラ毎日の。写真集作ってるとき、しょっちゅう叱られたよ、生意気だよね。
『篠山紀信と28人のおんなたち』1968年|篠山紀信のファースト写真集にして代表作。細谷がアートディレクション。美輪明宏や黒柳徹子などが出演、和田誠による似顔絵や三島由紀夫の篠山紀信論などが収録される。
『篠山紀信と28人のおんなたち』1968年|篠山紀信のファースト写真集にして代表作。細谷がアートディレクション。美輪明宏や黒柳徹子などが出演、和田誠による似顔絵や三島由紀夫の篠山紀信論などが収録される。
篠山
みんな生意気でしたよ!
細谷
しのさんは、この時代の写真家とは一線を画していたじゃない。しのさんって、文学的な部分を持っているのに、それをあえて表に出そうとしない。
篠山
『プロヴォーク』(中平卓馬、多木浩二、高梨豊、岡田隆彦、のちに森山大道も加わる写真同人誌。サブタイトルは、「思想のための挑発的資料」)とかね。写真芸術とは遠くに僕はいたんです。だって、ライトにいたくらいなんですからね。その後、中平さんとは『決闘写真論』を、多木さんとは『家』でご一緒するんですけどね。

50年ぶりの2人にとっての、公式の仕事『新・晴れた日』。

細谷
しのさんと最後に公式に仕事したのは、2冊目の写真集『nude』(1970年刊)。それ以来ってわけだ。
『nude』1970年|篠山紀信2作目となる写真集。同じく細谷がアートディレクションをした。篠山最初期のヌード作品集。米デス・ヴァレーの壮大な景観の中で女性たちを撮影した「死の谷」は世界的にも注目された傑作。
『nude』1970年|篠山紀信2作目となる写真集。同じく細谷がアートディレクションをした。篠山最初期のヌード作品集。米デス・ヴァレーの壮大な景観の中で女性たちを撮影した「死の谷」は世界的にも注目された傑作。
篠山
ほんとはね、こっそり仕事はしていたんですよ、ライトとは別で個人で受けて。僕らのクレジットが出ない、通称△(サンカク)と言っていたアルバイト仕事。
細谷
いすゞのベレットとかやりました。いすゞの工場で自然光で撮影した。
篠山
僕は△のおかげで、当時の作品作りができたんです。新しいカメラ機材、モデル代、ロケバス代とか、△でまかなえた。
細谷
しのさんは、そういう努力していたものね。さておき、この話、あんまりしていると怒られちゃうんで。50年ぶりに、また僕に頼んでくれて、とっても嬉しいんだけど。またなんでなの?
篠山
今回のような篠山紀信を網羅的に展示する写真展となったら、やっぱり最初にやってもらった細谷さんに、と思ったんです。篠山を表現するなら、細谷さんしかいないだろうって。
細谷
嬉しいですね。アートディレクションの仕掛けを話しちゃうのって、恥ずかしいから嫌なんだけどね。この目玉は、篠山紀信の目玉なの。目がキラキラギラギラしている。そしてその目から放出されているのは涙。この涙は、不安な今の時代の人々の涙であり、僕からしのさんへの温かな思いがこもった涙。そして、しのさんが持つ孤独の涙。ピカソもマティスもアーティストはみんなきっと孤独だったと思うのね。でもさ、写真展なのに、イラストのポスターにしちゃったから、どう思われるか、不安でしょうがなかったんだよ。
篠山
いや、最高でしょう、これは。
細谷
篠山紀信の膨大な名作の中から写真を選んで使うなんて、篠山紀信の世界が狭まっちゃうって思ったの。そんなとき、以前、なにかの折に描いていたスケッチが出てきてね、これだ! って自信を持っちゃったんですよ。
篠山
縁ですね〜。
細谷
でね、このスケッチを使って勇気を出して創ったんですよ。でも、夜寝るときに不安になったりするの。写真美術館でやるポスターに、写真なしでいいのかって! 写真を使ったデザインは、大好きなんだけど、イラストを使ったデザインって、あまりしてこなかったからね。そもそも、僕はね、デザインがうまくないんですよ。でもね、うますぎるのも最低だと思っているんだ。
篠山
こういう葛藤が、クリエイティブには大事なんですよ。自信満々で不安。
細谷
でも、しのさんに喜んでもらえて、本当に嬉しかった。嬉しいついでにいろいろ話しちゃうと、ポスターの目は金色にしているの。これ、王者の金色。篠山紀信は世界の写真界の王者ですから(笑)。一方、カタログは、「晴れた日」にふさわしいような明るいピンクの表紙にしました。
写真展図録表紙
篠山
今回の展覧会はすごく難しい展覧会なんですよね。世間が思い描いている篠山紀信の作品、ヌードとかスターとかが少ない。学生時代に撮影した作品から、最新作まで。だからね、初めを知っている細谷さんだから作ることができた、やさしさがにじみ出ているデザインが、ピッタリなんです。
細谷
今回、使ったShinoyamaのフォントは、スーベニア(ITC Souvenir)。スーベニアって、お土産って意味でしょ。これ、僕からしのさんへのお土産なの。『nude』のShinoyamaは、もっと尖っている。僕もしのさんも尖ってたからね。60年という付き合いの中で育まれた関係がここにも宿っているんですよ。
篠山
ところで、このポスターのイラストに細谷さんのサインとかないですね。
細谷
嫌なんだよ、俺が俺がって前に出るの。だからさ、この記事を読んだ読者のみなさんには、黙っててほしいんだ。誰がデザインしたとかね。よろしくお願いしますよ。

『新・晴れた日 篠山紀信』

初期作品『晴れた日』、ヴェネチア・ビエンナーレ出品作品『家』ほか、写真家・篠山紀信の60年間の全活動を、116点の作品とともに総括再検証する大規模回顧展。5月18日〜8月15日、東京都写真美術館2F・3F(東京都目黒区三田1−13−3 恵比寿ガーデンプレイス内☎03・3280・0099)で開催。観覧料共通チケット(2階・3階)一般1,200円ほか。

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4019.html

『晴れた日』(1974)
『家』(1972)
『THE LAST SHOW』 坂東玉三郎(2010)
『TOKYO NUDE』(1990)
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篠山紀信

しのやま・きしん/1940年東京生まれ。写真家。61年『日本広告写真家協会展公募部門』APA賞受賞。ジャンルにとらわれない表現で、写真界の第一線を走り続ける。

細谷 巖

ほそや・がん/1935年神奈川県生まれ。アートディレクター。㈱ライトパブリシティ代表取締役会長。紫綬褒章、旭日小綬章など受章歴。ADC会長。様々な広告制作に携わる。

photo/
Kishin Shinoyama
edit/
Yasuko Mamiya

本記事は雑誌BRUTUS939号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は939号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.939
続・花と花束。(2021.05.17発行)

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