アート

飴屋法水、稲岡 求|「平成美術」とは、何だったのか。

BRUTUSCOPE

No. 938(2021.05.01発行)
HOME SWEET HOME 居住空間学2021
photo/Kioku Keizo
photo/Kioku Keizo

『平成美術:うたかたと瓦礫 1989−2019』

美術評論家の椹木野衣が企画・監修し、平成30年間の集合的な美術活動を14のアーティストグループによって紹介した展覧会。バブル崩壊、東日本大震災などの平成の歴史と、出展作家による美術活動に着目してまとめられたエントランスの年表「平成の壁」(写真右)は、松本弦人によるデザイン。上記はその膨大なアーカイブのほんの一部を基に構成したもの。この完全版を収録した展覧会図録も販売中。展覧会自体は2021年1月23日〜4月11日、京都市京セラ美術館で開催された。kyotocity-kyocera.museum

2人の出展アーティストが展覧会を振り返り考えたことは?

“個人の終わり”の明確さから、その輪郭の曖昧さの時代へ。(文・飴屋法水)
 昭和36(1961)年に生まれた。戦後15年ほどたった頃だ。テレビは白黒テレビ、トイレもまだ水洗ではなく、小学校の校舎は木造、携帯電話などとんでもなく、電話といえば黒電話だった。

 そんな自分にとって「平成」は、どこまでもよそよそしい。なじみの年号といえば「昭和」である。天皇陛下といえば、昭和天皇。その「昭和」が終わる時、さかんにXデーと囁かれた。天皇がそろそろ亡くなる、その日がもうじきくるだろう、それはいつなのか? それがXデーの意味であり、Xデーが近づいた以上、祝い事や娯楽は自粛すべきというムードが世に流れた。

 自分が口にしていた『年号』というものが、天皇という、国家の象徴を担った、しかし同時に生身の人間の、その生き物としての身体の、その生死に左右されるということを、この時初めて意識した。

 身体の生死なのだから、それは医学によって左右される。自粛と同時に、「延命」という言葉が囁かれ、輸血の是非なども囁かれた。

 象徴性が、「個人」の身体によって体現される以上、そこに「他人」の血を混ぜていいのだろうか? 輸血などしてしまえば、象徴としての純粋性が損なわれるのではないか? そのような議論だったと思う。

 しかし医学として、できうる治療を施さないということは、みすみす死を放置するということで、そんな判断ができるはずもない。輸血は行われ、おそらく現代医学で、できうる限りの高度な治療、最先端のテクノロジーが投下され、そのぶんだけ「昭和」は延命された。

 その技術と身体の限界点、臨界点が訪れた日、昭和は終わった。当時首相であった海部俊樹の『ばんざい』の声とともに平成が始まったことを記憶している。しかしその「平成」が、年号としての、クレジットの強度というか、濃度を湛えることは、自分の中では、その後、ついぞなかったのだ。

 日本の年号は、たった一人の、個人の命、を起点としている。いや、していた。

 しかしXデーまでの、その個人の延命期間を通じて、強烈に、まさに象徴的に刻印されたのは、この身体における、個人の終わりだった。昭和の終わりは、私にとって、個人というもの、その輪郭の明確さ、の終わりだった。

 この私が死ねば、もちろん私は死ぬだろう。しかし死なずに生きているこの私は、そもそも集団の、いや、それは特定の集団のことではない、もっと漠として曖昧な、共同体を構成している大きな「群れ」、いやそれも特定の共同体のことではない、他生物、それも細菌やウイルスまでを、いや生物だけではないだろう、大地や水や空気を含む、渾然とした、やりとりの、交換の、関係性の、一瞬の局面の、欠片のようなもの。吹けば飛ぶような、ただの欠片の痕跡としての、とりあえずの、この私。

『平成美術』展は、個人としての作家ではなく、コレクティブ、という角度で企画されたという。しかしそのコレクティブというものを、集団として団結した、グループやユニットやバンド、そのようなチームとしてのワークと考えてしまうと、固有名の個人と、さしたる差もないだろう。

 チームとしての集団性ではない。むしろチームと呼ぶことさえ憚られるような、その輪郭の曖昧さ、時々に関係した個人たちのクレジットが、クレジットという意味を喪失しかねないほどの曖昧さ。

 そのような角度で捉えた時、『平成美術』展でカオス*ラウンジが宣言文だけを掲げたことは残念である。彼らも展示すべきだった、という意味ではない。私が残念なのは、今、「彼ら」と呼んだ、まさに彼らの固有名的な問題により、彼らの背後に蠢いていた、「彼ら」という輪郭には収まりきれない有象無象のネットの亡霊たちの傷跡を、目にする機会が失われたことだ。

 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件のあった95年を、平成における大きな境目と見立てた時、それが同時にインターネットの一般化という、もうひとつの境目であったことを示すこと。それは黒電話世代、昭和の残党として参加した私には、必要なことと思われた。「彼ら」を超えて。

時代へのひたむきな反応が炙り出した“平成”。 談・稲岡 求(Chim↑Pom)
 Chim↑Pomを結成したのは、平成17(2005)年。その少し前に僕は美学校の会田誠クラスにいたんですが、藝大の油絵科を目指してゴリゴリ写実系予備校に3年間浪人していたこともあってか、現代美術は絵画を諦めた人のやることと思っていました……(笑)。半年経った頃には猛省していましたが、会田さん好きで美学校に通ったわけでもなく、会田さんやその周りで起きていた面白い動きは全く受信できていなくて。すべて後追いの情報だけでしか知らなかった。飴屋法水さんのテクノクラートや松蔭浩之さんのComplesso Plasticoといった、当時Chim↑Pomのメンバーが興奮して教えてくれた作品が『平成美術』展で観られたのは本当に良かったです。

 今回、椹木野衣さんの企画・監修によりChim↑Pomが展示した《ビルバーガー》は、解体が決まった新宿歌舞伎町のビルの各階に残された用品を、そこにあるコンクリートの床でそのままハンバーガーのように、記憶とともに挟み込んだ作品です。これはもうすぐ開催予定の2020東京オリンピックに向けた都市開発の流れで解体されたビルであり、1964年の東京オリンピックの都市開発後に活躍したビルとも言えます。いわば「昭和」と「令和」に挟まれた時代のビルですね。こうしたスクラップ&ビルドの繰り返しは、日本らしいとも思いますが、残した方がいいモノまでスクラップ&ビルドされ、跡形もない街に変貌させてしまったりもする。今回の展覧会で、この「ビルだった瓦礫」がただの瓦礫ではなく、街や時代のなにげない記憶をも閉じ込める装置にもなっていればと。この《ビルバーガー》を作った歌舞伎町で、解体されるビルへの最後のアプローチ/ショーとして開催した『にんげんレストラン』という自主企画もChim↑Pomにとって大切な作品です。オリンピックのタイミングで進む街の「浄化」を理由になくなってしまう、適当でいられた街の隙間や人を、どう自分たちなりに確保できるかの実験みたいなものでした。

 Chim↑Pomが目の前にあることに反応して制作するのは、やがて時間が経って客観的になり歴史には残らない、だけど大事な何かを残せたらと思っているからですかね。「淀みに浮かぶうたかた」の美しさも残したいじゃないですか(笑)。

 今回は「平成美術」として集合的な作家が集められているけれど、集団である方が時代を掴むような表現ができやすかったのが平成だったんですかね。コレクティブのコミュニケーションとして複数人の意見を取り入れて制作する。そうなると、その時代に起きた同時代性のある問題を、常に作品に取り込む仕組みになる。僕らの場合はさらに、集団であることが暴走できる仕組みにもなっている。今はコレクティブで作品を制作する作家も増えてきたと感じますが、Chim↑Pomのようなグループはあまり増えてないのが実感としてあります。最近のコレクティブは、メンバーを固定化しない流動的なイメージ。だからこそ表現も固定化しないで流動的でいられる。Chim↑Pomもコレクティブと言っているけど、実感としてはバンドに近い。15年メンバーも変わらず続いている。ロックバンドだとしても、変わらないメンバーでやっている人たちは少ないのかな? 僕なんかは一人前以下、6分の1くらいの役割としてドラムならギリ叩けるかな、という感じで、1人でやるには本当にカスすぎて(笑)。けど、6人いると一つのバンドとして曲ができる。僕らは、週1、多い時は週2〜3回会議をしていて、そこで作品のアイデアや作業の進捗を話し合います。それが個人ともコレクティブとも微妙に違う、バンド的な作品になっているのかもしれないですね。

 平成元年に7歳だった僕は、意識せず「平成」を育ちました。でも、平成を意識せずとも時代に真っすぐ反応し、制作している僕らだからこそ、結果、「平成」も表現できていたのかなとも思います。それを「平成美術」と括るのならば、最も平成美術らしい美術を、恥ずかしげもなく、これからもやれるのは僕らが最後かもしれない。

 しかし、まだ、平成らしい瓦礫が社会にたくさん残っているうちはやるしかないですね。次の時代のためにも。

アートカテゴリの記事をもっと読む

飴屋法水

あめや・のりみず/1961年生まれ。84年に劇団・東京グランギニョルを結成。90年代はテクノクラートなどで活動。現在、演劇や美術などのジャンルを定めない作家活動を繰り広げる。

稲岡 求

いなおか・もとむ/1982年生まれ。当時20代の6人が2005年東京で結成したアーティストコレクティブChim↑Pomメンバー。《Making of the 即身仏》で即身仏のメイキングに挑んだ。

text/
Norimizu Ameya
text&edit/
Asuka Ochi

本記事は雑誌BRUTUS938号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は938号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.938
HOME SWEET HOME 居住空間学2021(2021.05.01発行)

関連記事