エンターテインメント

ジム・トンプスンの職歴小説『漂泊者』。

滝本誠のCAFÉ NOIR

No. 937(2021.04.15発行)
やっぱりマンガが好きで好きで好きでたまらない

 一人の女性編集者の愛と執念、血と涙と汗によって(いや、もっと軽やかだが、盛っておこう、エンタメ系に盛りは大切)、そして、黒洲零のミニマルにして饒舌な装丁によって、『天国の南』から開始された文遊社版〈ジム・トンプスン本邦初訳小説シリーズ〉が、コロナ禍にもめげず、無事、9冊目の『漂泊者』の刊行までたどりついた。なかなか困難な出版状況にあって快挙といっていい。

『漂泊者』の原題は『ROUGHNECK』(1954年)、意味するところは、じりじりと照りつける陽光下の肉体労働者、安くて危険な労働従事者の謂いであり、つまりはトンプスン青年がアメリカの大恐慌下、選択の余地なしで放り込まれたサバイバルの常態である。対をなす『バッドボーイ』と、この『漂泊者』でトンプスンのありえないほど過酷にして、心身ともにタフでないとつとまらない職歴がこの2冊でおおよそつかめる。

『漂泊者』で生々しいのは、貨物列車へ無賃乗車を試み、警備員にみつかり、かれらの警棒のえじきか、鉄路の下の土手への飛び降りかの二択を迫られ、飛び降りる描写だ。まったく死なずにすんだのは幸運であったというしかない。実際のところ、無賃乗車を試みて命を落とすものは多かった。

 ホーボー(渡り労働者)という、大恐慌時代のやむにやまれぬ労働者、また浮浪者の無賃乗車の実態を生き生きと伝える資料としても、トンプスンの自伝は貴重である。エンタメの〈盛り〉は当然あり、面白すぎるとしても。

 そういえば、ホーボーの無賃乗車は断固許すまじ、と貨車から彼らを叩き落とすことを生きがいにしている乗務員映画があった。強面アーネスト・ボーグナインがこの乗務員に扮した『北国の帝王』である。この映画はなつかしい。筆者の最初の仕事は『平凡パンチ』試写会担当で、初めての呼び込み原稿がこの映画だったからである。社員生活がホーボーめいたものになっていったのも、もしやこの映画の……。

 トンプスンはタフな職歴をノワール執筆にみごとに生かして、十分に元はとったといえるだろう。『漂泊者』のパン工場勤務は傑作『残酷な夜』の背景として存分に生かされる。

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たきもと・まこと

東京藝術大学卒業後、編集者に。著書に『映画の乳首、絵画の腓 AC 2017』(幻戯書房)。

本記事は雑誌BRUTUS937号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は937号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.937
やっぱりマンガが好きで好きで好きでたまらない(2021.04.15発行)

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