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小説家・松尾潔の長編デビュー作『永遠の仮眠』、好評発売中。

BRUTUSCOPE

No. 935(2021.03.15発行)
始まりの服。
松尾 潔

人気音楽プロデューサーが小説を書いた理由。

「Ti Amo」で日本レコード大賞を獲得したEXILEをはじめ数多くのミュージシャンを成功に導いた気鋭の音楽プロデューサーであり、日本のR&B系プロデューサーのパイオニア  。これが松尾潔を紹介するうえでの必要最低限のプロフィールだったはずだ。そこに「新進の小説家」というセンテンスが加わるとは、本人も数年前までは想像だにしなかったに違いない。そこで、音楽プロデューサーの仕事で忙殺されていた松尾さんが小説を書くに至った経緯から語ってもらった。



 小説を読むのは昔から好きでしたけど、書くことは一生ないだろうと思ってました。やりたいのは物語を作ることであって、自分がそれを発表する場は音楽だと思い込んでいて。そんな僕に最初に小説を書くことを勧めてくれたのは、直木賞作家の藤田宜永さん。2002年、サッカー日韓ワールドカップの公式テーマソング「Let's Get Together Now」をプロデュースする大役を仰せつかって、自分自身、ちょっと高みに行きすぎちゃったなと感じていた頃に藤田さんと知り合いました。藤田さんは「足元を見つめたいなら、小説を書いてみるといいよ」と勧めてくださったんですが、僕は、なんだかんだと理由を見つけて固辞したんです。思えばあの頃はまだ自分の中に、小説を書くリアリティがなかったんだと思います。

 その後、音楽プロデュースに疲れ、40歳までやったら撤退しようと目論んで少しずつ業務を整理して、2008年には年間5曲しかプロデュースしないところまで仕事を絞ることができました。そしてこの年を音楽プロデューサーとしてのラストランにしようと心に決めたわけですが、その5曲目、まさに最後の1曲という覚悟で作詞作曲したEXILEの「Ti Amo」で年末の日本レコード大賞をいただいてしまった。こうなると辞めるに辞められず、音楽プロデューサーとしての仕事を続けました。でも心の中には、独りで完結できる仕事に戻りたいという思いが種火のように残ったんです。

 そして2013年。僕にとって運命的な出会いが訪れました。それはもう一人の直木賞作家、白石一文さん。以前から彼のファンでしたが、ご縁があって一緒に食事をする機会があったんです。そこで白石さんからも小説を書くことを勧められて、不覚にも説き伏せられてしまいました。今度も思いつく限りの書けない理由を挙げたんですがその一つ一つを論破されてしまい、最後には「それでも書かないと言うのなら、そういう人生というだけですよ」と決断を迫られて。白石さんは文藝春秋で編集者をされていただけに、書き手を口説くのはお手のものだったのかもしれません。見事に口説き落とされました。

詞を書くことと小説を書くこと。

『永遠の仮眠』を書き始めたのは2015年。6年たってやっと日の目を見たわけで、かなりの難産だったと思います。その理由の一つは、途中、何度も筆が止まりそうになったから。それは、僕のような現役の音楽プロデューサーが音楽業界を舞台に小説を書いたら、読者は主人公の音楽プロデューサーに僕を投影してしまうだろうという漠然とした不安のせいでした。それでも書き続けられたのは、白石さんに言われた「松尾さんがいる音楽業界の最前線は、僕らが取材したくてもできないネタの宝庫です」という言葉のおかげなんです。あの言葉が、折れそうな僕の心と筆を支えてくれました。

 理由をもう一つ挙げれば、詞を山ほど書いてきたんだからその気になれば小説だって書けないはずがないという意識が、心のどこかにあったこと。でもそれは傲慢な勘違いだったと思い知らされました。詞は僕のスタイルの中で書けても、長編小説というのは恥ずかしい部分をもさらけ出す覚悟がないと書けなかった。それが、小説を書き始める人は多いけど書き上げられる人は少ないと言われる理由だと思います。僕は導いてくれる人に恵まれたので何とかなりましたが。

 ただ、最初に誘ってくれた藤田さんに対しては忸怩たる思いが残りました。初小説が完成したら真っ先にお届けして不義理を詫びたかったんですが、昨年1月に藤田さんは亡くなられてしまい、この小説をお目にかけることができなかった。これは悔やんでも悔やみきれません。

 逆に唯一遅筆が役に立ったことといえば、現代のコロナ禍の状況を最後の最後で少しだけ加味できたこと。結果オーライですが、おかげでコロナ禍以降の小説という体裁を纏わせることができました。世の中の圧倒的な現象の前には、小説家も音楽プロデューサーもできることは限られてしまう。だからこそ僕は、小説の主人公である音楽プロデューサーに言わせたのかもしれません、「何よりも大切なのは、音楽を止めないことだ」って。

『永遠の仮眠』

音楽プロデューサー光安悟の元に、高視聴率ドラマの主題歌プロデュースという仕事が舞い込む。歌うのはかつて因縁があった櫛田義人。立ちはだかるドラマプロデューサーの壁。音楽の行方は? 新潮社/1,870円。

松尾潔選「華やかな世界の裏側を描いた名作」

『クインシーのすべて』
昔、取材した時に"音楽心を持ってビジネスをし、ビジネス感覚を持って音楽をやってきたから今ここにいられるんだ"と言われて、そこから本気で音楽プロデューサーを目指しました。僕にとって唯一無二の憧れの存在を描いたドキュメンタリー。

『バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち』
ストーンズのバックシンガーとして出てくるリサ・フィッシャーに90年代に取材した時、気取らないステキな女性だと感じたんですが、心の内には葛藤を抱えていたのかなと。スターになれずとも歌い続ける歌姫たち。

『はじまりのうた』
かつて一世を風靡したが今は見る影もない音楽プロデューサーが、ある歌手に惚れ込んで再び音楽と向き合い、家族をも取り戻していく。フィクションだからこそ描けるリアルを感じます。『永遠の仮眠』のインスピレーションの一つになった劇映画。

『艶歌』五木寛之
五木さんは売れない作詞家時代を経て大作家になられた方。かなり心酔していた時期がありました。ここで描かれている「艶歌の竜」という主人公は相当にアナクロな制作マンですが、今の音楽界にも近い部分は変わらずあるように感じます。

『世界は俺が回してる』なかにし礼
黄金時代のテレビ業界を我が物顔に闊歩した名物プロデューサー、ギョロナベこと渡辺正文を描いた物語。鼻持ちならないが仕事はでき、東京音楽祭を仕切った人物。傲慢さに満ちた書名にも納得させられてしまう。

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まつお・きよし

1968年福岡県生まれ。音楽ライターから音楽制作の道に進み、ブラックミュージックをベースにEXILEほか数多くのミュージシャンを成功に導いてきた音楽プロデューサー。今年2月に『永遠の仮眠』を上梓し、小説家デビュー。

photo/
Kaori Oouchi
text/
Kaz Yuzawa

本記事は雑誌BRUTUS935号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は935号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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始まりの服。(2021.03.15発行)

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