自由で孤独。社会の大海原に漂う。
ノマド映画というものがある。住まいも持たず、何にも縛られることなく、列車や車や徒歩で、着の身着のまま旅を続けると言えば聞こえはいいが、そこには当然リスクがついて回る。時には命の危険に晒されることもあるだろう。それが女性だとしたらなおさらだ。
その女性ノマド映画の原点とも言うべきものが、アニエス・ヴァルダが1985年に撮った『冬の旅』だ。この映画は、バックパッカーの若い女性が凍死体で発見されるところから始まるが、そのことがそこからフラッシュバックで描かれる彼女の旅の壮絶さを物語る。しかし、どんなに悲惨な目に遭っても、彼女は旅をやめることはない。彼女の精神の自由は何人からも侵されることはないのだ。それが、この映画がフェミニズム映画としても傑作とされる所以である。ヴァルダは女性映画監督のパイオニアだが、この点においてもオリジネーターであった。
ただ、それ以降、『テルマ&ルイーズ』のような女性のロードムービーはあっても、女性ノマド映画が作られることはなかった。ところが、2007年のサブプライムローン危機に端を発するリーマンショックが生み出した貧困と、意欲的な女性映画監督たちの台頭により、2010年前後からアメリカでこの流れを汲む映画が出てくるようになったのだ。貧困は容赦なく女性からも住まいを奪う。また、こうしたテーマの映画を企画し、それを呵責なく撮ることができるのはやはり女性だったのだ。
まずは、アメリカ版『冬の旅』とも言うべき、ケリー・ライヒャルト(ライカート)の『ウェンディ&ルーシー』。ミシェル・ウィリアムズ演じるウェンディは、『イントゥ・ザ・ワイルド』の主人公同様、家を失い車でアラスカを目指すが、それは文明の否定からではなく、アラスカなら何とか仕事にありつけるのではないかという絶望的なまでの一縷の望みからなのだ。
イギリス人のアンドレア・アーノルドがアメリカで撮った『アメリカン・ハニー』は、詐欺まがいのやり方で雑誌を売りながら旅する「マグ・クルー」と呼ばれる集団を描いているという意味では群像劇だが、サッシャ・レイン演じる主人公にフォーカスすると、貧困による劣悪な家庭環境を捨て、旅に出ざるを得なかった一人の少女という点で、やはりこれも女性ノマド映画だと言える。
それはリアルから生まれた。
そして、この春いよいよ公開されるのが、『ノマドランド』である。原作は、邦訳も出て日本でも話題になった『ノマド:漂流する高齢労働者たち』というルポルタージュだ。この映画のプロデューサーでもある主演のフランシス・マクドーマンドは、監督のクロエ・ジャオとともに、主人公ファーンの人物造形を行い、ノンフィクションからドラマを作り出していった。
ファーンは、ある時、家も仕事も家族も失い、そこからキャンピングカーでの移動生活が始まるのだが、マクドーマンドは、本で取材された本物のノマドたちと同様、実際にアマゾンの配送センターや国立公園のキャンプ場などで働きながら、まるでドキュメンタリーのように撮影を進めていったのだ。マクドーマンドが、ファーンは私そのものだと言うように、彼女はやはり、本物のノマドたちとこの映画の中で出会い交流する。そしてファーンは、旅の過程で新たな人生の意味を見出していくのだ。
この映画は、昨年のヴェネチア国際映画祭で、見事最高賞の金獅子賞に輝いたが、その35年前に同じ賞を受賞したのがヴァルダの『冬の旅』であったのは単なる偶然だったであろうか。
ノマドとは?
家や定住地を持たず移動しながら暮らす人々を指す言葉。日本では「ノマドワーカー」に象徴されるように、時間や場所に縛られない働き方を示すポジティブな言葉としても用いられるが、ここで取り上げるのは貧困に苛まれ、放浪を余儀なくされる人々のことだ。
- text/
- Mikado Koyanagi
本記事は雑誌BRUTUS933号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は933号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。