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気鋭詩人・水沢なおが観た、映画『ホモ・サピエンスの涙』。

BRUTUSCOPE

No. 929(2020.12.01発行)
餃子♡愛
『ホモ・サピエンスの涙』この世に絶望した牧師、戦禍に見舞われた街を上空から眺めるカップルなど、人々が織り成す悲喜劇を描いた33シーンを収録した映画。監督のロイ・アンダーソンは本作で第76回ヴェネチア国際映画祭最優秀監督賞を獲得。公開中。 ©Studio 2‌4
『ホモ・サピエンスの涙』この世に絶望した牧師、戦禍に見舞われた街を上空から眺めるカップルなど、人々が織り成す悲喜劇を描いた33シーンを収録した映画。監督のロイ・アンダーソンは本作で第76回ヴェネチア国際映画祭最優秀監督賞を獲得。公開中。 ©Studio 2‌4

くすんだブルーのかなしみに導かれて。

 かなしくて美しかった。

 映画『ホモ・サピエンスの涙』は33篇の詩が収められた1冊の詩集であり、1篇の詩だ。研ぎ澄まされたシーンとシーンの飛躍の鮮やかさに、その間隙の弛まぬ密度に、わたしはほの青い詩の手触りを覚えた。

 ひとつに重なるように抱き合い、空を漂う恋人たち。マルク・シャガールの絵画から着想を得たというそのシーンは、ひときわロマンティックに描かれている。しかし、雲の下に広がる街はすべて廃墟だ。戦火の煙の如くぼうぼうと立ち上る灰色の霧、ドレスのドレープの優美なゆらめきが目に灼きつく。

 ワンカットで撮影された33のシーンは、そのどれもがやわらかな光を内包し、緻密に編み上げられている。シーンが切り替わるたび、魂は透明な沼地に没入していく。美術館で絵画を見ているときの、自分の存在が徐々に希薄になっていくような、それでいて、世界が自分だけで満たされていくような、あの感覚によく似ている。そしてその造り込まれた映像美が、人間の“脆さ”を隆起した絵の具のように際立たせるのだ。信仰を失った牧師、胸から血を流した家族を胸に抱く男性、駅のホームで自分を待つ人はいないと思う女性。ひりつくような“脆さ”は極めて淡々と、だからこそ生々しく描写される。

 作中のセリフはわずかだ。シーンの切れ間に挿し込まれる『千夜一夜物語』のシェヘラザードを彷彿とさせる語りと、登場人物たちの応酬。それらはまさしく会話体の詩を体現していた。

「すばらしいよな?」
「何が?」
「すべてだよ」
「すべてだ」
「すべて すばらしい」

 ひとりで酒場に来ていた男性の、唐突な発露はだれにも相手にされない。狭い店内の人々は窓からぼんやりと雪を見ていて、しかし雪が見えているかはわからない。ただその宙に浮かんだまま、外界から取り残された雪のような言葉は、ひどく切実な響きを湛えて、ガラス越しのわたしたちの前に提示される。

 乾いた光、薄明るい部屋のなか、若い恋人たちが向き合っている。熱力学の法則に例えて永遠を語るも、彼女は自分の髪を梳かすのに夢中。ふたりの間で対話が燃え上がることはない。このように、受動的ないきもの同士の、成立しないキャッチボールのような会話が続く。しかしだからこそ、言葉のひとつひとつが、いつの間にかわたしたちの足元にまで転がってくるのだ。

 全体を統一するかすかにくすんだブルーの色調は、わたしにヴィルヘルム・ハマスホイの絵画を想起させた。幾重にも塗り込められた、油絵具のしっとりとしたマチエール。そこに映えるモチーフ。診察室の窓辺に置かれた小さな鉢植え、そこに育つ植物の黄緑がやけにまばゆい。

 ベンチの上に投げ出されたサンダルのベルト。裸足とベビーカー。枯れた草木、キシリトールガムみたいに故障したグリーンの車。そのどれもがかなしみを帯びたまま、永遠へとわたしたちを導いている。

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水沢なお
みずさわ・なお/1995年静岡県生まれ。詩人。武蔵野美術大学卒業。2019年刊行の第54回現代詩手帖賞受賞作を含む全13編を収録した第1詩集『美しいからだよ』(思潮社)で、第25回中原中也賞を受賞し、今後のさらなる飛躍が期待されている。

ロイ・アンダーソン
1943年スウェーデン生まれの映画監督。2014年に『さよなら、人類』がヴェネチア国際映画祭金獅子賞を獲得。映像美を追求する姿勢から”映像の魔術師”と呼ばれ、アリ・アスターやダーレン・アロノフスキーらも敬愛を寄せる。

text/
Nao Mizusawa

本記事は雑誌BRUTUS929号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は929号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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