エンターテインメント

20年前に筒美京平先生と一緒に。『LOVE TOGETHER』ノーナ・リーヴス

西寺郷太のポップ警察〜名曲・珍曲・捜査録〜

No. 928(2020.11.16発行)
物語る、日用品。
筒美京平とともに制作したシングル(ジャケは2019年発売の再発アナログ盤)。ダメもとオファーしたところ快諾。ノーナの代表曲の一つになった。

京平先生、僕もポップスの遺伝子を繫いでいきます。

 2020年10月。作曲家・筒美京平さんの訃報が届きました。1999年秋から1年間、僕らのバンドNONA REEVESの曲を京平さんにプロデュースしていただいたことがあります。「LOVE TOGETHER」「DJ! DJ! ~とどかぬ想い~」というシングル2曲。薫陶を受けることができた僕にも追悼番組出演や、執筆の依頼が届いています。

 NONA REEVESと密に仕事をしていただいた2000年当時、自分は26歳、京平さんは60歳。その頃も新しく日本のチャートで売れているバンドやアーティストに目を光らせていた京平さん。「郷太君、ポルノグラフィティの『アポロ』や、Dragon Ashの『Let yourself go, Let myself go』を聴きなさい」と、京平さんの自宅でそれらのCDを見せられた時は驚愕したものです。その頃の僕は、デビューしてから3年目。プロとして、わざわざ同じ世代や年下のグループから学ぼうという勇気や好奇心はまだなくて。1968年に発売されレコード大賞を獲得した「ブルー・ライト・ヨコハマ」から1989年まで、作曲家年間売上TOP10に20年間とどまるなど頂点を極めた筒美京平が、「ヒット曲を出したいなら、自分がどんな音楽が好きかだけでなく、日本の大衆が今どんな曲をカッコいいと思っているか知るべきだ」と言うわけですから。

 実際に多くの名作を残したスタッフや編曲家の話を僕は直接聞く機会も多いのですが、彼らの話をまとめると、筒美京平さんは単なるコンポーザーではなく、今でいう「プロデューサー感覚」の優れた人だった、と。若い才能を発掘し、育てることによってご自身の音楽性もアップデート。生演奏のグルーヴが当然であった60年代末と、ドラム・マシンやコンピューターによる打ち込み「ユーロ・ビート」が席捲した80年代末は、まったく別の世界ですから。

 ネットやメール、音源ファイル送信などのない時代。最高で月に45曲新曲を書いていた頃は、出版社のビルの隣のビルに作業部屋を借り、曲ができたら楽譜を皿に乗せて窓越しに渡していた、などのエピソードも直接スタジオで聴かせてもらった日々が懐かしい。これからも、自分に出来る全力でポップスの遺伝子を繫いでいきたいと思っています。

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にしでら・ごうた

音楽家。ノーナ・リーヴスのシンガー&ソングライター。『GOTOWN Podcast Club』全ストリーミングで毎週配信中!

文・題字/
西寺郷太
編集/
辛島いづみ

本記事は雑誌BRUTUS928号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は928号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.928
物語る、日用品。(2020.11.16発行)

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