エンターテインメント

『レベティコ−雑草の歌』のブルースに酔う。

BRUTUSCOPE

No. 927(2020.11.02発行)
映画監督論。
”ハシシ窟”と呼ばれる夜の酒場で演奏するマルコスと仲間たち。
現実を歌う「レベティコ」が、奏でる者と聴く者の人生をつなげる。

世界が歌になる瞬間を目撃する。1930年代のアテネがここにある。

 世界が、自由が、音楽になる。1936年のギリシャの日だまりに触れ、海から吹く風に触れられる。『レベティコ−雑草の歌』を開き、絵を見つめ、見つめられ、倦怠とざわめきの中から立ち上がるギリシャのブルース「レベティコ」に耳を傾ける。



 フランス人作家ダヴィッド・プリュドムによるバンドデシネ(フランス語圏のマンガ)の舞台は、ファシズムの影が色濃く落ちる第二次世界大戦前夜のアテネ。吟遊詩人ホメーロスも暮らしたイズミルがトルコに奪還された希土戦争のあと、トルコからギリシャへ強制的に送還されたギリシャ正教徒は150万人を数え、都市のそこかしこにはスラム街が発生していた。社会の周縁で生きるしかない男たち、女たちは、路上で水たばこをふかし、大麻を吸い、夜ごと酒場に集い来る。港町の暮らしを、辛苦を、刹那の喜びや哀しみの色彩を歌う「レベティコ」がこの物語の主人公だ。

 ある秋の日、やくざ者のマルコスが刑期を終えて出所する。髭を剃り、家に帰り、ミュージシャン仲間との再会を祝う。しかし彼らの音楽は「東洋と西洋を混ぜ」「勤勉な労働者たちの風紀を乱す」ものとして検閲され、演奏はおろかブズーキやバグラマなどの楽器を持ち歩くことさえ禁じられている。社会から締め出され、押し潰されそうになる自由は、暗がりにいっとき身を潜め、音楽の中へ逃げ込んで息を吹き返す。「朝起きたことを夜に歌う」彼らの音楽とともに日が暮れて影が延び、騒々しく夜が更けていき、やがて世界は青く、白く、朝の光に満たされていく。

 2009年に発表された『レベティコ』が、10年以上の時を経てようやく日本に辿り着いた。翻訳家の原正人が編集主幹を務める〈サウザンコミックス〉の翻訳出版プロジェクト第1弾。クラウドファンディングでは、目標金額を上回って129%の達成率を記録した。ここから、これから、世界各地のマンガが翻訳され紹介され、出会いが生み出されていく未来は、どんな色をしてどんな音楽が流れているんだろう。新しい景色を楽しみにしています!

『レベティコ−雑草の歌』

20世紀初頭に誕生した「レベティコ」を奏で歌う男たちと1人の女。音と煙と人情に彩られた長い一日を描いた、世にも美しい物語。ダヴィッド・プリュドム/原正人訳/サウザンブックス社/3,000円。

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edit&text/
Hikari Torisawa

本記事は雑誌BRUTUS927号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は927号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.927
映画監督論。(2020.11.02発行)

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