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代表チームに関しては、あまり話さないようにしています。|加茂 周(最終回/全四回)

TOKYO 80s

No. 926(2020.10.15発行)
恋の、答え。
加茂 周

 オスカーが来たおかげで2年目に三冠を獲れたんですよ。リーグ戦と天皇杯とJSLカップ。私はこれを獲ってやめると宣言していました。すると全日空から監督の誘いがあったんです。強いチームではなかったけれど、徐々にメンツが揃って3年目には天皇杯チャンピオンに。この頃はゾーンプレスですね。ACミラン監督のサッキが「ソーナプレス」と言っていて、日本語に直したらゾーンプレスになる。サッキも選手としてのキャリアはほとんどないけれど、「ソーナプレス」の戦術で成功した。全部真似するわけではなく、取り入れるべきところは取り入れようと研究しました。それが日本代表監督へと繋がっていった。国立競技場の日韓戦で逆転負けしたことは忘れもしません。次にカザフスタンに行って勝ってる試合を引き分けにされ、それが日本代表監督としての最後の試合になりました。その後、少し休もうと思っていたら京都パープルサンガから声がかかった。情熱は続いてるつもりでしたけどね、なかなかうまくいかなくて辞めることに。監督時代はいろいろありましたよ。でも代表チームに関してはあまり話さないようにしています。資料も残ってないですね。その日はカザフスタンのホテルにいて。試合に引き分けた夜に、長沼さんと川淵さんたち3人で話し合ったらしいです。ここで監督交代と。大会は始まってますから、今さら、大きく変えられない。それでコーチだった岡田が一番いいのでは? と、彼がその後を引き受けることに。ウズベキスタンでの試合を終えて岡田が会いに来ました。「加茂さん、言われた通り、引き受けてやりました。この後はどうしましょう?」「お前がやらな、どうするんだ」と伝えました。その後、神がかり的に最後の試合に勝って、日本がアジア代表になれたんです。約30年ですよ、監督人生は。サッカーは、いまは時々です。テレビもボーッと見てるだけ。現場にも行ってないですね。ただ、日本のサッカーは間違いなく強くなっている。世界に対して何かをやるにはもう一つか二つ駒がいるな、とは思いますが。振り返ると何もかもサッカーに打ち込んだ人生。釜本くんやクラマーさんに出会い、長沼さん、岡野さん、平木さんにも出会った。オスカーもね。それとリさん。本当にすごい人たちだった。このサッカー人生、そういう人間関係に関してはうまく進んだんじゃないかなと思います。(了)

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加茂 周

1939年生まれ。元サッカー日本代表監督。サッカー解説者。日本サッカー殿堂入り。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO, TOSHIYA MURAOKA

本記事は雑誌BRUTUS926号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は926号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.926
恋の、答え。(2020.10.15発行)

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