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超大物選手のオスカーを口説きに行ったんです。|加茂 周(第三回/全四回)

TOKYO 80s

No. 925(2020.10.01発行)
いつでも! おいしい酒場。
加茂 周

 クラマーさんのスクールの後にヨーロッパ研修に行きました。外国のプロチームや選抜チームの練習を見て回って一番勉強になったのは、クラマーさんの指導が正しいと確認できたこと。そこからですよ、自分でノートをとったり、理論をまとめたり。海外のサッカーに関する本も翻訳しながら読んでいました。ヤンマーを辞めて、ちょっと一服しようと休んでいたら日産から話があったんです。ある人の勧めもあって、日本最初のプロ監督として日産に入りました。ですが、簡単な仕事ではなかったですよ。県リーグのチームでしたから。関東リーグに上がって、JSLの2部リーグ、1部リーグと行かないとあかんのです。1部には上げてくれと言われてましたが、やりだしたら一番になってやると、誰でも考えますよね? 県リーグはね、2年やりました。今でも覚えてますよ。入れ替え戦で負けたんです。1部に上がっても1回落ちて。その時に、自分でも「お前、偉かったなぁ」と思うような方向に発想を変えたんです。どうせやるなら一回落ちてもいい、上に行けるような戦略でやってみようとモデルチェンジ。そしたら落ちたんですよ(笑)。木村和司や金田喜稔など、いい選手が入ることになってましたが、結局、最初は2部。日産は怒ってましたけどね(笑)。立て直して1部に上がって、それからはグググッと。その時のライバルが読売クラブ。接戦で引き分けまではいくんですけど、どうしても勝てない。いい選手も集めましたけど、まだ歴史のないチームですし、きっかけを作らないとあかんなと思って、ブラジル選手のオスカーに来てもらおうと。自分で話をしに行きました。オスカーいわく、「私はイタリア系ブラジル人だからヨーロッパのことはわかる。アメリカでも一回プレーした。あとはアジアを知りたい」と。人格者でしたね。加茂さん、条件はあんたの言う通りでいいから、俺は日本でやりたいと言ってくれたんです。ところが日産サイドはそんなブラジルの大物選手を取ってどうするんだと。お金の問題もありました。けれど当時のサッカー部長が偉い人で、その選手を1年間つなぎ止められるか? と。死に物狂いでやりますと言ったら、オスカーは待ってくれると。彼は当時のブラジル代表キャプテンで、超大物選手だった。私の運が良かったのは、最初が釜本との出会い、2回目がオスカーでしたね。(続く)

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加茂 周

1939年生まれ。元サッカー日本代表監督。サッカー解説者。日本サッカー殿堂入り。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO, TOSHIYA MURAOKA

本記事は雑誌BRUTUS925号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は925号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.925
いつでも! おいしい酒場。(2020.10.01発行)

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