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とにかく釜本は本当にすごかった、桁違いにね。|加茂 周(第二回/全四回)

TOKYO 80s

No. 924(2020.09.15発行)
必要な服だけを。

 名門、関西学院大学のサッカー部に2年生から入ったのは、その歴史の中で私だけなんですよ(笑)。ただ、3年のブランクもありましたしね。何試合かは使ってもらいましたけど、結局、一丁前になれずに卒業しました。父が新聞記者だったので、将来は新聞記者にと思っていましたが、私は文章が苦手で。結局、諦めて一般企業に就職しました。関学の先輩がヤンマーのサッカー部におられて、「周、ここに来い」と。入社試験を受けたら合格して。それでサッカーをまた始めたんです。だけど、当時の社会人サッカー部といったら練習をやるのは週に1回か2回。それも夜、勤務が終わってから。飲むためにやってるようなものです。いい汗かいたな、よし一杯行こうかと(笑)。それがヤンマーの創業一族の一人がサッカー部長になられて、早稲田で4年間得点王だった釜本(邦茂)を獲ると言いだしたんです。釜本が来て、「お前らは現役をあがれ」と言われて。同い年の鬼武(健二)が監督、私がコーチ、1期上の安達(貞至)さんがマネージャー。3人でサッカー部のスタッフになりました。釜本と一緒に大学からいい選手を獲りましたし、ブラジルからネルソン吉村も呼びましたが、とにかく釜本は本当にすごかった、桁違い(笑)。ドイツやブラジルの一級選手のレベルでしたよ。コーチといってもチームの面倒をみてくれと言われて、やりましょうと返事をした程度でした。それが変わったのはクラマーさんのコーチングスクール。1969年ですね。日本人は13人、あと30人くらいがアジア各国から集まって、真夏に3ヵ月。まあ厳しいスクールでしたね。でも、それで目が開いたというか。当時はサッカーの本もなく、系統立った指導もなかった時代。ところが、クラマーさんのスクールでは、コンディション、体力、持久力、フィットネスと、全部を系統立てて教えてくれる。午前8時から2時間授業、10時過ぎから現場で指導。午後はいろんな大学の先生が来て、コンディションのことや法律まで教えてくれる。日本サッカーの父と言われますけど、本当にそうです。とにかくスクールが面白くて、ひょっとしたらずっとサッカーをやるかもわからへん、と。本気でコーチになってやろうかな、と思ったんです。それまで日本にプロのコーチなんていなかった時代ですから。よし、なってやろう、と思ったんですよ。(続く)

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加茂 周

1939年生まれ。元サッカー日本代表監督。サッカー解説者。日本サッカー殿堂入り。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO, TOSHIYA MURAOKA

本記事は雑誌BRUTUS924号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は924号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.924
必要な服だけを。(2020.09.15発行)

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