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サッカー人生が始まったのは、リさんのおかげです。|加茂 周(第一回/全四回)

TOKYO 80s

No. 923(2020.09.01発行)
新・ニッポン観光

 大阪の豊中生まれです。親父は毎日新聞の記者でしたが、終戦直前にパージされて。親父が書いたわけじゃないんですけど、当時の内閣を批判した記事に関わった編集が7人みんな捕まって。書いた2人は最前線に送られてすぐ死んじゃったんです。竹槍事件って有名な事件、竹槍では戦争に勝てないというキャンペーンをやったんです。母親は普通の主婦でした。親父は戦後に復職しましたが若死にしまして。そこから苦労しましたね。芦屋の家が結構でかい家だったので下宿屋をやっていましたが、最後はニッチもサッチもいかんようになったらしくてね。屋敷を売って神戸に住まいを替えて。小さい頃はとにかく普通の子供でしたね。運動も得意じゃないし、おとなしい何の特徴もない子供ですよ。長男の兄貴は日本代表のキーパーをやってましたがね。中学校では学校新聞を作ったりね、本当に普通の子供でした(笑)。それで兄貴も通った芦屋高校に入学したんですが、サッカー部のキャプテンがリ・チャンソクさんって人だった。その人に「お前、加茂さんの弟やろ。サッカー部に来い」と言われて入れられたんですよ、逆らえもせず(笑)。リさんが誘ってくれなかったらサッカーに興味もなかったし、部活なんか絶対に入ってないですね。それからですよ、サッカー人生が始まったのは。リさんはすごい人でした。今でも覚えてますが、ノートにね、サッカー理論や考え方をキチッとメモして整理してあって、雨が降る日にはリさんがサッカー教室をする。高校生ですよ すごくしっかりした人で尊敬してました。兄貴は関西学院大学に行ったんですが、リさんが兄貴を慕っていてね。兄貴の出身校の関学を選んでサッカー部に入ったんです。朝鮮人で関学のサッカー部に初めて入った人でしたが、4年生ではキャプテンに。名キャプテンと言われてました。私はその頃、家計が苦しかったこともあって、金のかからない学校に行ってやれ、と思って受験したら失敗(笑)。2年浪人した後に、結局、関学へ。その頃、リさんは大学院にいて。授業を受けているとリさんが来て、「周、ちょっと来い!お前、何してんねん?」。真面目に授業を受けてますと言ったら、「そんなんどうでもいい」。グラウンドに連れていかれて。僕は2年生でしたが、「お前、サッカーをもう一回やるべきや」。とっさに言われると、こっちも弱いんですよ(笑)。(続く)

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加茂 周

1939年生まれ。元サッカー日本代表監督。サッカー解説者。日本サッカー殿堂入り。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO, TOSHIYA MURAOKA

本記事は雑誌BRUTUS923号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は923号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.923
新・ニッポン観光(2020.09.01発行)

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