アート

みうらじゅんが語る史上最高のカップル「ジョン&ヨーコ」。

BRUTUSCOPE

No. 923(2020.09.01発行)
新・ニッポン観光

最強のLOVEは「愛」じゃなくて「相」。

世界で最も有名でクリエイティブなカップル、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ。彼らの最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』発売から40年を迎える今秋、2人の軌跡を、彼らの言葉や作品で辿る展覧会『ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ』が開催されることに。思春期の頃、「ジョン&ヨーコ」で「LOVE」を知ったと語るイラストレーターのみうらじゅんさんが、ジョン&ヨーコとはどんなカップルで、どんな影響を与えたのか、みうらさん的視点で解説します。



 リアルタイムは小学生のとき。後期ザ・ビートルズ。とりわけ、インドへの傾倒が激しかったジョージ・ハリスンとジョン・レノンを好きになりました。ジョンのソロアルバム『イマジン』は中学2年のときに洋盤で買いました。僕は子供の頃から仏像が好きで、なぜうちの家はお寺じゃないんだと思い詰めるほどだったんで、自分の部屋の入口に「イマ寺院」という『イマジン』をもじった札を下げました(笑)。というのも、『イマジン』の歌詞は、僕にとっては、よりわかりやすい「般若心経」だったからなんですね。国境もない、天国もない、地獄もない、宗教も地位も名誉もなんにもない、「ない」と思ってごらん、ただそこには「空」が広がってるだけ、って。それは正しく「色即是空」、般若心経の英語バージョンだなって。極東アジアの片隅で童貞こじらせていた中学生がグッときたんです(笑)。あの歌はオノ・ヨーコさんの詩集からインスパイアされたそうですが、同時期にジョージが発表したソロアルバム『オール・シングス・マスト・パス』(万物流転)と意味を同じくしてました。仏教的思考はもともとジョンの根底にもあって、ヨーコさんと出会ったことで確信に変わったんじゃないかとも思うんですよね。

 僕は、ジョン&ヨーコで初めて「LOVE」を知りました。2人の平和運動活動「ベッド・イン」はもちろん、ビートルズ期に発表した「ジョンとヨーコのバラード」、オールヌードのジャケットで驚いた『トゥー・ヴァージンズ』とかね。最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』もそうでしたけれど、前衛的なヨーコさんの歌やパフォーマンスも相まって、「LOVE」はそう簡単には手に入れられないものだと理解したんです。

「LOVE」という言葉は、日本では「愛」と訳しますが、仏教的に言うと「愛」は愛着とか愛欲とか煩悩の意味も含みます。だから、ジョン&ヨーコの言う「LOVE」は、本来「慈愛」と丁寧に訳すべきだったんじゃないかと。ずいぶん長い間、僕はそれについて悩んだんです。それで、30歳を過ぎて、『アイデン&ティティ』という漫画を描き始めた頃だったと思いますが、2人の言う「LOVE」の正解は「アイデン(ジョン)&ティティ(ヨーコ)」だったんじゃないかと気づいたんです。「愛」は「相性」の「相」で、最高に相性のいい2人の「相」が「LOVE」の正体だったんじゃないかなって。

 ジョンはヨーコさんとビートルズ時代に出会い、熱烈な恋に落ちて結ばれたわけですけれども、結婚して数年後、世に言う「失われた週末」というのが2人に訪れるじゃないですか。ジョンがヨーコさんから離れ、愛人のメイ・パンと18ヵ月を過ごしたという伝説の別居生活。それを単に別居と考えるのか、まだジョンには修行期が残っていたと取るのか。愛欲だけに憧れを抱いていた当時の僕には到底わかるはずもないんですが、2人の「愛」が「相」だと理解したときに、なんとなくその謎が解けた気がしたんです。「失われた週末」は男だとか女だとかジェラシーだとかそういった欲や煩悩を超越した人になるためだったんじゃないかと。「ジョン&ヨーコ」というアイデンティティを2人で築き、2人で1つのアイデンティティになるためのね。

百万の敵がいても「僕とヨーコを信じる」。

「ミューズ」が自分にはいないと悩んだのも、ジョン&ヨーコのおかげでもあります(笑)。ヨーコさんの個展をジョンがたまたま観に行って運命の出会いを果たしたという有名な話があるじゃないですか。ハシゴを上って天井を見ると小さく「YES」と書いてあった、その伝説は、僕だけじゃなく、「アイデン&ティティ」を夢見る人の間で多大な影響を与えたんじゃないか、いや、ヨーコさん的な存在を「ミューズ」だと思い込んだんじゃないかと思うんです。ジョンはビートルズ時代にいろいろな葛藤を抱えていて、そこにヨーコさんという「ミューズ」が現れ、ジョンは「ジョン・レノン」という唯一無二のアーティストになった、そういうことが当時の本にも書いてあったりしたもんで、みんなは都合よく「いまオレがダメなのはミューズがいないからだ」などと他力本願になったんじゃないかなって(笑)。自分の才能は棚に上げてね。

 でも、よくよく考えると「ミューズ」は、あっちからやってくるものではなくて、それを「受け取れる自分でいられるかどうか」の問題なんですよね。ジョンは、音楽は天才だったけど、ヨーコさんを理解できる才能もあったんだなとつくづく思います。だから、「受け取れる人間」に自分がならないとダメなんです。本当の意味で「出会えた」と思えたことがすごいんですから。ジョンは味方を得たんでしょうね。ヨーコさんというたった一人の味方を。

 きっと、ジョン&ヨーコって、こうすればいいとか、それはダメとか、そういうことはお互いに言ってなかったんじゃないかなあ。わかり合えた人間にアドバイスなんていらないですものね。どんなことも、音楽にしてもパフォーマンスにしても、お互いに「いいね」って言い合いながらやってたんじゃないかな。ヨーコさんが袋に入って奇声を上げて、その横でジョンが歌うライブ(『バギズム』)の映像を観たときに、いや、僕が「相」の人を知ったときはまだビデオなんてなかったですからずいぶん後になってから観たわけですけど、僕は「え? 何?」というショックを受けたんです。でもそれもきっと、2人ともすごく「いいね」と言い合って考えついたスタイルだったんでしょう。当時のジョン&ヨーコのファッションも歴史に残るほど独特じゃないですか。ジブラルタルで結婚式を挙げた頃の、上から下まで全身真っ白でコーディネートした2人の姿はその象徴だったと思います。ジョンはそのファッションで『アビイ・ロード』も歩いてますもんね。それを当時は「ロックな」で片づけてましたけど、そこには相性のいい2人の「そこがいいんじゃない」って考えがあったんだと思うんです。そして、相手が自分で自分が相手。鏡のような存在だから、相性の「相」があると最強のカップルになれるのだと。

「ゴッド」というジョンの曲があるじゃないですか。キリストも信じないしブッダも信じない、ケネディもエルヴィスもジマーマンもビートルズも信じない、信じない信じないって続くけれど、最後に「ヨーコを信じる」と言うわけです。百万の敵がいても2人がいいならそれでいい。そんな2人になれる用意はあるのか? といつも問われている気がします。

EXHIBITION HIGHLIGHTS

©Yoko Ono

ヨーコの詩から生まれた名曲。

ジョンの手書きによる「イマジン」の歌詞。ジョンは生前ヨーコの詩集『グレープフルーツ』から着想を得たと語り、後年、共作者としてヨーコの名前が正式にクレジットされた。

Taken at Museum of Liverpool, courtesy of National Mueums Liverpool

土産物Tも着こなすジョン。

「よくよく考えると、胸にデカデカ京都って書いてある土産物Tシャツと同じじゃないですか(笑)。でもジョンが着てるんだから、そこがいいんじゃないとなる」とみうらさん。

Taken at Museum of Liverpool, courtesy of National Mueums Liverpool

「失われた週末」中にヨーコに送った手鏡。

1973年10月から18ヵ月間別居していた2人。エルトン・ジョンの仲介で元サヤに戻る。「この期間に作ったアルバム『ロックン・ロール』も素晴らしい」とみうらさん。

Taken at Museum of Liverpool, courtesy of National Mueums Liverpool

平和運動家だけどミリタリールック。

1972年のコンサートで着用。「”WAR IS OVER”って言ってるのにミリタリー。NYCTシャツもそうだけど、そこがいいんじゃないという逆転の思想だよね」とみうらさん。

Taken at Museum of Liverpool, courtesy of National Mueums Liverpool

ジョンといえば丸メガネです。

「強度の近眼だけど、ビートルズ初期はメガネをしなかった。アイドルだったし。きっとヨーコさんが”メガネのそこがいいんじゃない”って言ったんじゃない?」とみうらさん。

Taken at Museum of Liverpool, courtesy of National Mueums Liverpool

「オレ本」作りは一人遊び好きならでは!?

ジョンが少年時代に作った「手作り本」も展示。「僕も基本そうなんですが、どうやったら自分を楽しませられるか? ってそればっかり考えてましたから」とみうらさん。

©Yoko Ono

国外退去を経て獲得した永住権。

1971年にアメリカに移住したジョンとヨーコ。平和運動活動で国外退去も求められたが、76年に永住権獲得。「ジョンとヨーコの住むところであれば最高って気持ちがあったんじゃないですか」とみうらさん。

Photo by Ivor Sharp ©Yoko Ono

平和運動は愛とユーモアで。

1969年3月20日、ジブラルタルで結婚式を挙げたジョンとヨーコは、アムステルダムのホテルで世界平和のためのパフォーマンス「ベッド・イン」を行い、戦争反対を訴えた。

Photo by Mark McNulty ©Yoko Ono

ジョン&ヨーコの出会いはここから。

1966年、ジョンはヨーコの個展を訪れ、脚立を上り虫眼鏡で天井の絵を見る「天井の絵」や、白いキャンバスに釘を打つ「釘を打つための絵」を「体験」。それが始まりだった。

Taken at Museum of Liverpool, courtesy of National Mueums Liverpool

愛の結晶『ダブル・ファンタジー』。

1980年11月17日リリース。2人の曲が交互に半分ずつ収録されている。その3週間後の12月8日、ジョンは凶弾に倒れた。享年40歳。ジャケット写真を撮影したのは篠山紀信。

Photo by Iain Macmillan ©Yoko Ono

『DOUBLE FANTASY – John & Yoko』

2020年はジョン・レノン生誕80年、そして没後40年となる節目の年。2018年にイギリス・リヴァプール博物館で開催された話題の展覧会が東京に。10月9日〜2021年1月11日、ソニーミュージック六本木ミュージアム(東京都港区六本木5−6−20)で開催予定。入場料、時間など詳細はhttps://doublefantasy.co.jpへ。

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映画化もされたみうらさんの名著。』
本物のロックと真実の愛を求める男を描いたみうらじゅんさんの自伝的漫画『アイデン&ティティ』も必読です。

みうらじゅん

1958年京都市生まれ。80年、『ガロ』で漫画家デビュー。以降、イラスト、小説、エッセイ、音楽など幅広い分野で活躍。著書多数。

illustration/
Jun Miura
text/
Izumi Karashima

本記事は雑誌BRUTUS923号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は923号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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