一つの風景画がつなぐ、過去・現在・未来。
【From:蓮沼執太 To:横尾忠則】「大沼と駒ケ丘」で描かれた分断なき自然の連帯に、心惹かれました。
横尾さん、はじめまして。まずは何処の馬の骨かもわからぬ若造の、横尾さんの絵を音楽アルバムのジャケットに使わせてください、という不躾なお願いを快諾してくださり、本当にありがとうございました。そして、アートワークを手がけていただき、大変光栄に思います。
毎日横尾さんから発信される《WITH CORONA》のマスクアートはしっかりと僕らに届いています。新型コロナウイルスもそうですが、気候危機や構造的な差別の問題など、騙しだましながら隠してきたことが、どんどんと目に見える形で現れてきて、非自然的な不安が僕らを覆っています。
横尾さんの絵は、現実を先取りしているように見えます。1970年代に横尾さんが日本各地を旅されて絵を描かれたシリーズ『日本原景旅行』から「大沼と駒ケ丘」をアートワークに使わせていただきました。蓮の花が咲く沼(蓮沼?)には、動物や虫などの生物と駒ケ岳の山や植物などの無生物が分断なく生きているように描かれています。それぞれが自由に生きていて、自然を超えた連帯を感じます。このシリーズはどんな思いで制作されたのでしょうか?
僕の活動は、ポップ・オーケストラを編成したり、主に音を使ったアートを作ったり、環境音や電子音を使った音楽を制作しており、複数のスタイルがあります。その理由は、僕自身のアイデンティティが無くなっていくことでスタイルを脱皮して、常に生まれ変わった状態になれるからです。横尾さんの膨大な作品にも多くのスタイルがあり、その驚くべき質と量を尊敬しています。その姿勢にはとてもピュアな印象を受けています。このように絵を描くことで、自然な形で純粋になれる秘訣などあったりするのでしょうか?
本来ならば、直接お会いしてご挨拶をしたかったのですが、この往復書簡を通してお話できたら嬉しく思います。
【From:横尾忠則 To:蓮沼執太】50年前に描いたこの絵は、理想を込めた小さなSF世界なんです。
蓮沼さん、こちらこそ、よろしく。
先ずこの50年前に描いた絵をアルバムのカバーに選んでいただいたことを感謝します。50年前の作品が今日の黙示録的世界の予兆をはらんだこの時代の蓮沼さんの音楽のメッセージを象徴するビジョンとして陽の目を見せてもらえたことは、偶然ではなさそうです。このような先行き不透明な時代に、まるで黙示録の後に到来するかもしれない千年王国的な未来を、今日のこの時代に引き寄せて、未来を顕在化する喜びのような晴れ晴れした気持ちです。
まさか、30歳になったばかりの頃に描いた絵が時空を超えて、音楽とコラボレーションされることに不思議な縁を感じます。一枚の絵が、複数化され、反復しながら蓮沼さんの音楽仲間やファンの方々の手元に届くことで、音楽に興味のある方も、このジャケットを通して絵にも目を向けていただけると嬉しく、興奮のようなものを覚えます。
この「大沼と駒ケ丘」を描いた絵は、旅先で脳裏に記憶したビジョンを、旅から帰ってきてアトリエで、フィクション化して再現したものです。此岸を主題にしながら、彼岸の実想風景を想像した、私の中の小さいSF世界であり、ジュラシックパークです。つまり千年王国の世界で、蓮沼さんが気づかれた、あなたのお名前そのままの”蓮沼”です。出会うべくして出会ったように思います。
CD/LPジャケットの裏面では表面の風景から動物などが立ち去り、姿を消しています。タイトルの文字も虫食い状態になって消滅しています。何かの比喩として皆さんに考えてもらいましょう。新型コロナウイルスも、結局は人間の自然に対する破壊や無関心から発生したようなものです。人間も自然の一部です。新型コロナウイルスも生物でしょう。人間とどこが違うのでしょうか。ウイルスを敵視する以前に共生共存の関係を文化的にではなく、文明的に考えることで、見えないものが見えてくるのではないでしょうか。
また、お会いすることもあろうかと思います。素晴らしい音楽活動をお続けになってください。応援させていただきます。
はすぬま・しゅうた
- phot/
- Takehiro Goto (portrait of Shuta Hasunuma), Masahiro Mibe (portrait of Tadanori Yokoo)
- text/
- Shuta Hasunuma, Tadanori Yokoo
本記事は雑誌BRUTUS923号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は923号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。