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【現代の奴隷制度に抗う】美術家・長坂真護がガーナのゴミをアートに変え続ける理由

「お金の、答え」BRUTUS.jp特別記事

No. 922(2020.08.17発行)
お金、ちゃんと使えてる?

新自由主義が生んだ現代の奴隷制度

 クリーンなエネルギーは存在していても、クリーンなキャピタルというものは存在しない。資本の蓄積には原理上、直接的にせよ間接的にせよ、大なり小なりの搾取が伴うからだ。事業拡大のための設備投資を可能にする剰余価値の発生は、そのトレードが「フェア」なものではないことを端的に示している。これこそがおよそ150年前にカール・マルクスが『資本論』において解き明かしたことであり、その点、「資本」と「正義」とのあいだは、磁石の同極同士のように、絶えず斥力によって引き離されている。

 さらに、新自由主義と称される今日の市場は、公平性を「機会均等」へとあえて読み変えていくことによって、つまり富めるも貧するも自己責任というもっともらしいロジックによって、社会を「万人の万人に対する闘争」の巷へと変貌させている。各国で深刻化する格差社会の問題、プレカリアート(低所得労働者)の問題は、その必然的な帰結だろう。あるいはそれは国内の問題にとどまらず、グローバルサプライチェーンを通じた国際的な不均衡や大規模な環境破壊をも引き起こしている。たとえば、ガーナのアグボグブロシーにうず高く積み上げられ、その土地を汚染し、かつそこに暮らす住民の健康を著しく損ねている先進諸国からの電子ゴミ廃棄物の山は、今日、惑星規模で進行している醜悪なドラマの一つの主要な舞台だ。

ガーナにあるアグボブロシーには、世界中の先進国が秘密裏に持ち運んだ電子機器のゴミが大量に投棄されている。

 さて難点は、こうした「資本」の不正義、醜悪さをに対して、一体「何ができるのか」という点である。

 今回のアーティスト・長坂真護(以下、真護)へのインタビューは、その際に取りうる選択肢、つまり、「資本」と「正義」とのあいだを引き離す斥力に抗うための方法についての、真護の戦略をめぐるものとなった。真護はここ数年、日本とアグボグブロシーを幾度も行き来し、彼の地と此の地をアートによって結び、アグボグブロシーが抱えている問題を「解決」に傍点するための「制作」を行なってきた。ここでいう「制作」とは単にアート作品の「制作」のみを意味するものではない。有毒ガスがひしめく「最悪のスラム」の中に、真護は自身のアート作品によって得たお金で小学校を建設し、さらにはアートギャラリーを建設している。そして今、真護は電子ゴミ廃棄物のリサイクル工場を現地に建設するべく、その資本金100億円をどうにか調達しようと奔走している。

「これは現代の奴隷制なんです」

 アグボグブロシーの現状について躊躇なくそう語る真護は、一方で東京都日本橋の一等地、まさに日本のキャピタリズムの中心部に位置する雑居ビルの1フロアを、まるまる自身のアトリエとして借り上げ、基本的に日々の作品制作の全てをそこで行なっている。右手には矛盾と札束を、左手には愛と鉛筆を。自身のアート作品を賭け金に、あたかも資本主義をハッキングするかのようにその虎穴へと深く潜行していく真護は、アーティストというよりも義賊という称号の方が相応しいようにも見える。その思惑についてを真護に尋ねてみると、今、本当にするべきことは「問題提起」ではなく「問題解決」なのだと語った。

真護は日本橋の他にも、大阪、滋賀、ロサンゼルス、それから制作の拠点でもあるアグボブロシーにも拠点を構える。

バンクシーは問題を提起するだけで解決はしない!

「僕は今の現代アートと呼ばれるものがすごく嫌いなんです。コンセプトばかりが重視されていて、絵の技術なんてなくてもいい。それこそインパクトさえあれば、それなりに値がついてしまう。たとえばバンクシーもそうです。度胸試しのようにパレスチナで絵を描いて、そのコンセプトが評価されて、オークションで何億という値段が付けられていく。ただ、バンクシーがやっていることは常に『問題提起』なんですよ。資本主義社会の中で生じている様々な問題を様々な形で提起している。それによって資本主義の中で作品が高値で売れている。ただ、そこに問題を本当に解決するための糸口はありません。そんなこと考えてすらいないでしょう。だから、僕は『問題解決』まで引き受けることにしました。

 たとえば、お金のない世界が本当に来たらいいなとは思いますが、現実には難しいじゃないですか。すると、今の資本主義社会がもたらしている問題をただ提起し続けてみたところでどうしようもないんです。だから、僕は資本主義のルールに全面的に乗っかりながら、一方でそれによって生じている問題を解決するための方法を考えることにしたんです。それこそバスキアの作品は100億円以上で落札されていますよね。僕はこの100億円が自分にも降ってくればいいと思ってるんです。その100億円があれば、アグボグブロシーに100億円のゴミリサイクル工場を建てることができる。そうすることで、今、アグボグブロシーに暮らす人々が抱えている問題を全てではないとはいえ、ある程度、解決することができるんです」

 先述したように資本主義には様々な毒性がある。真護が試みているのは、その「毒」を皿まで喰らい、返す刀で自らを生きたワクチンへと転生させ、その「毒」の毒性を無効化させようという錬金術である。そして、その時、「金」と「正義」のあいだを充たす斥力に争うための切り札となるものがアートである、というわけだ。明快なロジックに感心する一方、こうした真護の語る正義に対しては、意地悪な疑問も生じる。たとえば、真護の作品が1億円で売れたとして、その時、確かに真護自身はその1億円をアグボグブロシーのために使うのだろう。しかし、その時の1億円が必ずしもクリーンな1億円であるという保証はどこにもないのではないか。

真護のアート作品「ガーナの子」。アグボグブロシーの少年と、それを囲むように装飾された不法投棄された電子機器。

「その1億円が生み出される過程において苦しんでいる人がいるということですよね。分かります。実際、僕はアグボグブロシーを初めて訪れた時、資本主義の闇を見たような気持ちになりましたから。その時、『もう経済活動の全てをやめたい』とも思いました。それこそ、絵具もカメラも捨てて、電車に乗るのもやめて、鍬(くわ)を持って山の中で自給自足の暮らしをした方がいいんじゃないか、と。動けば動くほどゴミが出るわけで、稼げば稼ぐほど誰かが搾取されるわけです。だったら全てやめてしまおう、と。たとえば、僕が絵を描いているのは環境保全のためですと言ったら、それは綺麗事になります。絵の具は何でできているのかと言えば石油燃料です。このように不都合なことばかりなんです。ただ、本当に僕らはこの暮らしを完全に捨てれるのか。僕は難しいと思いました。もちろん、再生可能エネルギーを使用したり、日頃からタンブラーを持ち歩いたり、そういう小さな変化は可能です。ただ、根本的に変えれるかと言えば簡単ではない。そして、重要なことは、その間にもアグボグブロシーの人々の健康は損なわれ続けているということなんです」

 アグボグブロシーのゴミ山は、現代人が暮らしの中で無自覚に追認している大量生産大量消費社会の影絵である。そうした悪しき状況の改善を目指す上で、清貧主義は一つの取りうべき立場だろう。しかし、残念ながら今日の吝嗇家をただちに改心させる魔法の特効薬は現状において存在しない。加えて、あえての「清貧」を選択できるということ自体が、今日のグローバル社会においては極めて特権的な立場であるということも失念できない。あるいは、この過酷な競争社会においてあらかじめ優位に立ちながら、その優位性を十分に活用しないことについての倫理的な問題もある。

「そこで、僕は僕が稼いだお金については僕が預かったお金だと考えることにしたんです。だから、預かった分は、きちんと本来あるべきところに落としていこうと決めています。現代アートの作品には何十億円という値段で売れている作品があるわけですが、作品そのものにそんな価値があるわけがないんです。正直、絵が一枚何億円で売れてしまうなんてことが世の中の不思議ですよ。それによって稼いだアーティストやギャラリーはそのお金を何に使っているのか、今まではよく分からなかった。そこを僕はクリアにしていこうと思ったんです」

アートマーケットの構造への反骨

 真護はそうした実践の総体を「サステナブル・キャピタリズム」という言葉に託している。ようするに「持続可能な資本主義社会を作る」ということだが、果たしてそれはどのように実現されるのか。鍵はアートマーケットの構造にあると言う。

「現在、僕のアート作品は色々な理由から値段が段々と上がっていっています。そこには本当に様々な背景があり、もちろん僕の作品を気に入って買ってくれる人たちもいるんですが、その一方には投機目的の人もいるんです。たとえば、一人の投資家が僕の作品を買って、インスタグラムなどで『これは値上がりするよ』と言えば、その日に注文が殺到する。株式と一緒です。実際、すでに僕の作品は1000万円以上で売れていますが、正直に言って、僕の絵の技術には1000万円の価値はありません。じゃあなぜ売れるのかというと、僕が自分のアート作品にレヴァレッジをかけたからです。

 たとえば、アグボグブロシーの人々をモチーフにした僕の作品はガーナでは1000万円で売れません。その価値がないからです。しかし、グローバル資本主義社会の頂点にあるアメリカや日本では1000万円で売れる。この+1000万の価値がどこから生まれるのかというと、アグボグブロシーの-1000万のエネルギーからです。アグボグブロシーに暮らす彼らの貧困は、先進国に暮らす人々の富と対の関係にある。一方に+1000万円がある時、もう一方に-1000万円の負債が発生しているんです。通常のキャピタリズムではこの関係は固定したままですが、アートであればこの分岐点を超えられるんです。つまり、アートであれば、-1000万を+1000万にトランスフォームできる。アグボグブロシーの人々の貧困がひどいものであればあるほど、彼らの願いをビジュアル化した僕の作品は高額で売れる。これが僕の掛けたレヴァレッジなんです」

 現代アートは久しく今日のグローバル資本主義がもたらしている環境破壊や経済格差などの諸問題に切り込んできた。一方で、ある作品がそうした資本主義の矛盾に深く切り込むものであればあるほど、その作品がグローバルなアートマーケットの中で高い値段で売買されるという皮肉な構造もある。言ってしまえば、資本主義に対する問題提起でさえ、資本主義のマネーゲームにおいては、商品を高く売るための付加価値として見はなされてしまうということだ。真護はこうしたマーケットの機微を熟知した上で、そこにあえて乗っている。とはいえ、そうしたアートシーンにおいて一つ一つキャリアを踏みつつ悠長に作品の値が上がるのを待っているような優等生タイプでもまたない。もとより、歌舞伎町のホストから一転、ストリートの絵描きとなったアウトサイダーである。その戦略もまた型破りだ。

「僕は現代アーティストと呼ばれることにもピンと来ていないんです。そもそも美大も出ていないし、美術の専門教育を受けたわけでもありません。絵を売るようになってからも、最初からギャラリーに所属する気は全くありませんでした。だから、マネージメントを含め、全て自分自身で手掛けてます。絵の売り場にしたって自分で作ってしまった方が早い。今、僕は自分のギャラリーであるMAGO GALLERYも独自展開していて、年内にあと3店舗出す予定です。これは正直、従来の枠組みからは外れる手法なので、歓迎されにくいです。決まっていた出展が途中で白紙にされてしまったこともある。ただ、それでいいんです。仮にアート業界に認められなくても、今は、そんなことは重要じゃない。僕の目的は100億円を少しでも早く集めることですから」」

来るべきサステナブル・キャピタリズムのために

 そして今日も、真護は日本橋のアトリエで作品を制作し続けている。棲まいは何年も変わらず築50年のマンションのままだ。一体、何がそこまで真護を突き動かしているのか。

「理屈じゃないんですよ。アグボグブロシーは湖のある湿地帯で、元々は放牧に適したすごく自然豊かな場所だったんです。ただ、たまたま海からの風が強く吹く場所だった。きっと15年前に先進国の誰かがこう囁いたんだと思うんです。『君たちが今もらってる給料の倍を払うから、僕たちのゴミを全部焼いてくれよ、ガスマスクなしで。火をつけるだけでいいからさ』。それで彼らは火を灯し始めた。もともとあった湖も今はありません。ゴミの燃え滓(かす)で埋め尽くされてしまったんです。

これは見えない奴隷制です。奴隷制度は撤廃されたことになっていますけど、それを存続させるための簡単な方法があったんです。それは人間に価格表を作ることです。彼らはたった5ドルで1日12時間働いてくれます。そんな人材を使ったら誰でもビジネスに成功するんです。確かにそこに強制性はないかもしれません。たとえば今僕が誰かに『月1000万円あげるから僕のために働いてください』と言ったら大抵の人が働きますよね。めっちゃ高待遇ですから。ただ、1000万円が僕らにとっての100円くらいに感じられる富裕な国があったとして、そこの国から僕らを見れば、『まるで奴隷だな』と感じられると思うんです。僕らはそういう見えない奴隷制の中に今もいるんです。

こういう状況について問題提起をするのは容易いことです。アグボグブロシーについても、これはバーゼル条約(*)違反だ、アグボグブロシーにゴミを持ち込むのをやめよう――そう指摘し、糾弾することなら誰にでもできます。ただ、その時、アグボグブロシーの彼らは仕事を失うんです。電子ゴミに健康を蝕まれながらも、彼らはそこから売れるものを取り出して生き抜いてきました。それはひどい仕事です。ただ、そのひどい仕事を与えたのも僕たちであり、そして今度はその仕事をただ奪おうとしている。そんな理不尽なことが許されるのか。僕は許せません。

アグボグブロシーには、世界から最も大量に電子機器の廃棄物が自動的に集まってくるネットワークがあります。1日5ドルで12時間働き続けるような豊かな労働力があります。だったら、そこに100億円を投資したい。1万世帯あるこのスラムに工場を作って、健康健全な仕事を彼らに用意したい。ここで重要なことは、これが寄付ではなく投資であるということです。寄付はサスティナブルではありません。逆に彼らから生きる力を奪いかねないものです。もっと持続可能な形で彼らを支える必要がある。これが僕が『サスティナブル・キャピタリズム』という言葉にこだわる理由なんです」

ペットボトルとソーラーパネルで作った月のオブジェ『ムーンタワー』。真護が作った光が此の地の人々を照らす。

 金が目的ではなく手段である。同様にアーテイスト・長坂真護にとって、アートもまた目的ではなく手段としてある。なんのための手段か。地球のため? 世界平和のため? あるいはアグボグブロシーのため? そうではないと真護は言う。ガーナの状況を環境面、経済面ともに改善することに成功すれば、それは一つのケーススタディになる。ひいては地球規模で状況を改善することへと繋がる。だから、それは「僕自身の子供のため」であり、「僕自身の孫のため」である。そして、それは取りも直さず「子供や孫の幸せを願う僕自身のため」である。

 ところで、真護は今、年間500枚近くの絵を描いており、そのうち80%はマーケットに出し、残りの20%は倉庫にストックしているという。アグボグブロシーの目標が実現した暁には、そのストックを使ってある実験を行うことを計画しているらしい。この計画がもし実現したなら、その時、本当にこの資本主義社会に地割れが起こるかもしれない。

「今、僕がこのキャンパスに絵を描けば、100万円で売れます。だから、これはいわばお金なんです。僕はそのお金を倉庫にストックしている。今後、僕が有言実行し、今掲げている目標を達成できたら、僕の絵の価値は間違いなく上がり続けるでしょう。そしたら、僕は自分の倉庫にとてつもないお金をストックしていることになります。そのタイミングで、僕はそのストック作品を全て世界中のホームレスに配ってまわろうと思っているんです。そうすることでマーケットはどうなるのか。飽和して作品価値が暴落するのか。あるいは神様が微笑んでさらに価値が上がるのか。それは分かりません。ただ絶対に何かが変わるはずです。僕はその時の世界の景色を是非とも見てみたいんです」

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ながさか・まご

MAGO CREATION(株)代表取締役兼美術家。服飾大学を卒業後、ホスト、会社社長、路上の絵描きを経て、美術家に転身。ガーナを拠点に制作活動を行い、ガーナ、日本LAアートギャラリー<MAGO GALLERY>を経営。真護の活動を追ったエミー賞受賞監督によるドキュメンタリー映画「Still A Black Star」が公開予定。https://www.magogallery.online/
https://nagasakamago.art

photo/
Hideyo Fukuda
text/
Yousuke Tsuji

本記事は雑誌BRUTUS922号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は922号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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