エンターテインメント

遠野遥『破局』

星野概念「精神医学で診る本の診断室」

No. 922(2020.08.17発行)
お金、ちゃんと使えてる?

ゾンビになれ。ゾンビみたいに最後まで立ち上がり続けた方が勝つ。ゾンビだから何度でも立ち上がるのは当然だし、ゾンビは痛みや疲れなんて感じない。ラグビー、恋、学業もそつなくこなす主人公が纏う空虚さの終局は。芥川賞受賞作。河出書房新社/1,400円。

主治医・星野概念 診断結果:つまずくのは辛い。でも、つまずかない人生は、もっと辛い?

 僕の子供の頃の夢は、野球やバスケットボールの選手でした。根拠なく、何かしらのスポーツ選手にはなれるだろうと考えていましたが、速い球が思うように投げられない、背が伸びなすぎた、などのつまずきを体験し、高校に入る頃には諦めました。つまずく前は、何にでもなれるような万能感がありましたが、そうではないことを知らされたのです。辛かったけど、物事はすべてがうまくいくわけではないという当たり前のことと、つまずく辛さを体感したのは大切なことでした。その後、友人の影響で、文化系界隈の雰囲気の方が肌に合うことを知りました。つまずきがなければ、この趣向にもなかなか気づけなかったかもしれません。本作の主人公は、有名大学に通い、運動ができ、彼女は絶えないというつまずきのなさそうな学生生活を送ってきたようです。つまずかないということは、守るべき規律を守り、テストや受験などの課題に高いレベルで応え続け、教育者から評価を得てきたということです。憧れちゃいますが、つまずかない生活も大変です。規律や課題に応えねばならないと、自分に厳しくし続けているうちに、自分は実のところ何をしたいのかということが見えなくなります。実際に彼の語りは、社会的常識を遂行せねばならないというものがほとんどです。また、つまずきの痛みを知らないため、友人や元彼女が身の上話をしても共感することができません。彼は気づいていないようですが、社会的規律に依存しないと物事を考えられない空虚さや、人と心から繋がれない孤独を感じていたような気がします。改めてつまずくことの大切さを実感する読書でした。

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ほしの・がいねん

精神科医など。いとうせいこうとの共著に『ラブという薬』『自由というサプリ』がある。

編集/
大池明日香

本記事は雑誌BRUTUS922号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は922号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.922
お金、ちゃんと使えてる?(2020.08.17発行)

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