エンターテインメント

僧侶であり作家が描く、 河内闘鶏ワールドへ。

滝本誠のCAFÉ NOIR

No. 919(2020.07.01発行)
東京の正解

 河内の僧侶兼作家の今東光に『闘鶏』という短編があったことを思い出させたのは、扶桑社ミステリーからチャールズ・ウィルフォード『コックファイター』(齋藤浩太訳)が刊行され、その解説を小生が担当し、そういえばわが国でも同様のコックファイト小説があったな、と記憶を探ったからである。今東光は『お吟さま』で昭和31(1956)年下半期の第36回直木賞を受賞した作家であり、これまで2度映画化もされた彼の代表作である。

 彼の短編集『闘鶏』が異色かつ重要なのは、都市化の波ですでに第二次大戦前に消滅しかかっていた〈河内〉という独特の文化圏のさまざまな風習、風俗を一種文化人類学的なリサーチを通して小説世界に編み上げたことにある。ほかに5編収録の短編集(角川小説新書、昭和32年刊。オレの小2の頃か)で、『闘鶏』を表題作にもってきたのはそれだけの自信と、執着があったからだろう。

 さて、主役の軍鶏は次のように紹介される。

「目附は何といったものだろう。さしあたり喧嘩好きな無頼漢だ。それとも逞しい思案顔というやつだ。ともかく物騒な面構えだが、気取つていることには間違いない」

 なにか大映映画絶頂期のシリーズ、『悪名』の勝新太郎を彷彿とさせる、軍鶏さまの風貌描写である。この軍鶏を見た〈鶏結び〉(レフェリー)の爺さんは次のように太鼓判を押す。

「そやな。これやったら河内きつての名鳥やいうたかて恥しイないな。今年はええ勝負さらすやろ」

 これで一気に河内闘鶏ワールドへ読者は導かれるわけだ。ウィルフォードの『コックファイター』の鶏たちは、足には殺傷器具をとりつけられてアリーナに放される。当然、どちらかが死に至る闘いの時間は短い。河内闘鶏はそうした付属具は使用しない。どちらかがもうケッコーとうずくまり、その後のだれかの食卓に並ぶことに納得の表情をみせるまで、延々と闘い続けるのである。そのあいだに酒と金が動くわけだ。

 今東光作品は古書でしか手にはいらないが、『コックファイター』は書店に並んだばかり。おもろいでっせ。珍しく解説がまともですw。

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たきもと・まこと

東京藝術大学卒業後、編集者に。著書に『映画の乳首、絵画の腓 AC 2017』(幻戯書房)。

本記事は雑誌BRUTUS919号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は919号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.919
東京の正解(2020.07.01発行)

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