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ピンク映画の現場で初めて女の子の全裸を見たんだよ。|山本晋也(第三回/全四回)

TOKYO 80s

No. 916(2020.05.15発行)
クラシック音楽をはじめよう。
山本晋也

 昭和33(1958)年頃は日藝なんて誰も相手にしなくて、就職に困るわけ。ほとんどが中退してプロになってたよ。友達が夏休みに、「直よ、お前、お〇〇○映画って知ってるか?」って。要するにピンク映画の前だよね。「面白ぇじゃねえか、それ」って行ってみたらピンク映画の現場だったんだ。初めて女の子の全裸姿を見たな。世の中にこんなに綺麗なものがあったんだってね。風呂に入るシーンでさ。だけど映画を観たら足元と肩がちょこっと映ってるだけ。全裸の場面は現場でしか見せてない。あれは監督とスタッフが喜ぶためにやってたんだな(笑)。それがピンク映画の最初の助監督。綺麗だったね~。全裸を見られる女優さんは松竹や東宝、日活では大部屋の女優でさ。一度でいいからポスターの最初を自分の名前で飾りたいってピンク映画に来たんだよ。松井康子とか扇町京子とかね。俺、助監督の時から女優さんから人気があってね。応援団をしてたから男の仕切り方を実によく知ってたの、チビだけど。だからスタッフの下っ端をまとめるのは簡単だった。照明部が偉そうにしててさ、撮影が長引くと変電所の電気を落として嫌がらせするんだよ。俺は次の日に相撲部やレスリング部のすごいやつを30人くらい集めて、撮影所を封鎖したよ(笑)。あいつはやばい、めんどくさいから意地悪するなってなったね。俺は人が十数年かかるのを3本か4本やったらチーフ助監督になっちゃった。監督にも人気があってね。普通の映画の監督も全裸シーンを撮りたいんだけど、撮影所じゃできないから名前を変えてやってたな。周防正行はちゃんと言ってるけどね。ある時クランクインの数日前に撮影が中止になっちゃってさ。スタッフはみんなフリーで一本一本に勝負をかけてる。映画業界が衰退してたからピンク映画でもやらないと照明部も撮影部も食えないわけ。そういう連中を守らなきゃいけないから、俺が全部仕切るから、誰でもいいから監督を連れてきてくれと頼んだよ。そしたら会社が「チョクさん、あなたが監督したらいかがですか?」って。スタッフも仕事がしたいから、監督は用意スタートだけ言ってくれれば大丈夫だと背中を押すんだ。非常にラッキーだよね(笑)。その時にね、言われたよ。ピンク映画を一本やっちゃうと、生涯普通の映画の監督には戻れないって。それで名前を山本晋也に変えないとやばいなって。(続く)

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山本晋也

1939年生まれ。映画監督、リポーター。近著に『風俗という病い』がある。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS916号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は916号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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クラシック音楽をはじめよう。(2020.05.15発行)

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