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答案用紙に校歌を書けば、単位がもらえたんだ。|山本晋也(第二回/全四回)

TOKYO 80s

No. 915(2020.05.01発行)
HOME SWEET HOME 居住空間学2020

 大学名鑑みたいな本があるでしょ。それを見ると日本大学藝術学部には映画、演劇、写真の学科があったんだよな。演劇学科に入ろうと思ったのはね、映画学科には恐ろしいことに現像場があるんですよ。現像液の臭いがすごくて、そんなところでフィルムの研究をやったってね。で、演劇学科には女の子がいるんだよ(笑)。当時、女子大生ってあんまりいなかったの。どうせならそっちの方がいいと思って。当時は自分で映画を撮りたいなんて思ってなかったしね。大学には地方出身のやつらが多いから、夏休みになるとさ、仲のいいやつはみんな故郷へ帰っちゃうわけ。で、やることがないからバイトですよ。日藝の卒業生には篠山紀信とかもいるんだけど、カメラマンの弟子をやってプロになったやつがほとんどでね。東京オリンピックの時なんかは日藝の学生だらけでしたよ。夏休みにバイトで助監督をすると結構ギャラをくれたんだよな。そんないいバイトはないわけですよ。大学には何年いられるのかを調べたら、8年までいられる(笑)。これはうっかり卒業しねえ方がいいぞってね。その瞬間からね、就職という概念がなくなりました。要するに自由業。授業には出られなかったけどね。大学で一番思い出に残ってるのは、俺はチビだしスポーツもダメだから、目立つためには黒い学ランの連中、応援団。俺はブラザーコンプレックスがあって、兄貴が欲しくてしょうがなかったんだ。それで入ったの。「今日からお前は名誉ある日本大学応援団の団員の一人である。勉強はしなくてよろしい。日大の校歌、1番と2番だけ書けるように」って。「答案用紙にそれを書けばいいんですか?」って聞いたらそれを書けば単位をもらえるって。全部それ、試験の時(笑)。だいたい単位をもらえたね。あともう一つの思い出が東京オリンピック。日本中のカメラマンが総動員でさ。迎賓館の裏の事務所には、市川崑、和田夏十、谷川俊太郎がいて。市川崑が素晴らしいのは、映画『東京オリンピック』がプロパガンダになっていなかったこと。オリンピック担当大臣だった河野一郎は、烈火のごとく怒ってね。「これは記録中心でもないし、ひどい映画だ。国が新しく全部作り直す」と言ってさ。封切りしたらそっちには人が入らない(笑)。市川崑さんの映画が一番。『千と千尋』に抜かれるまで、日本で一番観られた映画だったんだよな。(続く)

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山本晋也

1939年生まれ。映画監督、リポーター。近著に『風俗という病い』がある。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS915号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は915号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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