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今度やるときは勝たなきゃなぁ。戦後、親父はそう言ったんだ。|山本晋也(第一回/全四回)

TOKYO 80s

No. 914(2020.04.15発行)
いつか旅に出る日。

 生まれは千代田区の神田。昔は神田区って言ったらしいけど。妹が3人いてね。ちょうど小学校に入ったのが戦争に負けた頃。東京の街は空襲の連続。入学する寸前にB29が低空で数百機ぐらいやってきて、空が見えないんだよ。パイロットの顔まで見えた。あの時だけは怖くてね。親父が庭先に造った防空壕に入って、妹たちの前では怖がっちゃいけないと歯を食いしばっても、歯の奥がカタカタカタと鳴るの。東京大空襲は3月10日。その1週間前に親父が「引っ越さないと」と。理由を言わなかったけど、昔の陸軍記念日なんだよね。そういう日にかけてくると知ってたんだろうね。神田から西新井大師に引っ越して、それで助かったんだわ。俺は本名、直っていうんだ。8月15日、終戦の日の思い出は、親父が「直、ちょっと来い」って。人の顔をじーっと見て、「なんだなあ、今度やるときは勝たなきゃなぁ」。その一言だね。小学校1年か2年の時にはまだ不発弾が残っていてね。警察官が縄を張って、入っちゃいけないって。それを6年生の先輩たちがこっそり取りに行って。あの中にね、ナパームが入ってるんですよ。それをちょっと竃に入れると、薪に火をつける時に火のつきがものすごく良かったな。親父が建築家だったから中学、高校は早稲田。建築技師にさせたかったんだと思う。けど6年もいると早稲田に飽きちゃってさ(笑)。学力は高校からもう駄目だね。成績順にクラスをAからEまで分けるんだけど、俺は高1から高3までE組。なぜかというと、早稲田中学に見学に連れていかれた時に、先輩たちが「我々は映画研究部である。我がクラブの活動はひたすら映画を観ることにある」と呼びかけていて。これはいいクラブがあったもんだって、中1から入っちゃって。中3で部長をやらされて。そこで初めて部室の壁いっぱいにある雑誌『キネマ旬報』を見たんだ。中学入学時の成績は上位7番目ぐらいで頭が良かったのに、映画に毒された(笑)。当時、銀座にはアーニー・パイル・シアターっていうアメリカ人しか入れない映画館があってさ。洋画の看板は構図も色彩もかっこよくて、もう、観てえなと。そこをアメリカ人の夫婦なんかが通るんだけど、あいつらいい匂いするんだよね。友達に「今、アメリカの匂いを嗅いだ?」って聞いて、「嗅いだ嗅いだ」って。アメリカ人っていい匂いがするもんだなってね。
(続く)

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山本晋也

1939年生まれ。映画監督、リポーター。近著に『風俗という病い』がある。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS914号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は914号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.914
いつか旅に出る日。(2020.04.15発行)

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