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初代〈みんぱく〉館長によるアナログ時代の情報整理術とは? |梅棹忠夫

BRUTUSCOPE

No. 914(2020.04.15発行)
いつか旅に出る日。
「知的生産の技術」のための「こざね」。 写真撮影/尼川匡志

梅棹忠夫が残した“知的生産”を知る。

 今年は日本万国博覧会(EXPO'70)が開催されてからちょうど50周年にあたる。当時のパビリオンのほとんどは姿を消したが、万博の精神を21世紀に継承する施設といえば、閉幕後、新たに創設された〈国立民族学博物館(みんぱく)〉だろう。

 みんぱくの初代館長だった梅棹忠夫(1920~2010)は大阪万博にも深く関わっている。「太陽の塔」の地下部分のテーマ展示「いのり」の天井には、当時京都大学教授だった梅棹と東京大学助教授の泉靖一が率いた〈日本万国博覧会世界民族資料調査収集団(EEM)〉が世界各地から集めたさまざまな民族の「仮面」が展示されていたのだ。

 京都市に生まれた梅棹は京都帝国大学理学部で動物学を専攻したあと民族学に転じ、アフガニスタン、東南アジア、東アフリカ、ヨーロッパ等でフィールドワークを行った。国立民族学博物館の創設に尽力し、1974年から93年まで初代館長、退官後は顧問、名誉教授を務めた。

 また西欧文明と日本文明の進化が平行して進んだという説を唱えた『文明の生態史観』(1957年、のちに中公文庫で刊行)、調査成果を論文などにまとめる方法をまとめた『知的生産の技術』(1969年、岩波新書)といったベストセラーを世に送り出した。特に後者は、知的情報の生産と整理のための実践書として、今でも読み継がれている。

「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがらー情報ーを、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」(『知的生産の技術』より)

 例えば梅棹は一つのテーマで文章を書くとき、ばらばらに湧いてくる発想を、「こざね(小札)」と呼ぶ小さな紙に順序かまわず書きつけ、その中からつながりのあるものを、筋が通るように並べる「こざね法」を提案した。梅棹が残したフィールドノート、スケッチなど約15万点は、民族学研究アーカイブズとしてみんぱくに保管・整理されている。今回の企画展はこうしたアーカイブズ資料とデジタル・データベースを通して、梅棹の思考と実践のプロセスを窺う絶好の機会だろう。

梅棹忠夫生誕100年記念企画展『知的生産のフロンティア』

4月23日~6月23日、国立民族学博物館本館企画展示場(大阪府吹田市千里万博公園10−1☎06・6876・2151)で開催。10時~17時(入館〜16時30分)。水曜休(祝日の場合は翌日休館)。


※イベントは延期となっています。詳細は主催者のウェブサイトなどでご確認ください。
http://www.minpaku.ac.jp/

梅棹忠夫が記したモンゴルのフィールドノート。 写真撮影/尼川匡志

ビルマ独立記念祭での民族衣装。1961年。 写真撮影/梅棹忠夫

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Akihiro Hatanaka

本記事は雑誌BRUTUS914号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は914号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.914
いつか旅に出る日。(2020.04.15発行)

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