エンターテインメント

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』

星野概念「登場人物を精神医学で診る本の診断室」

No. 913(2020.04.01発行)
犬がいてよかった。

主治医:星野概念

普段は使わないスタンプだらけのメッセージを送ったり、彼女の技術では作れない料理を作ったり、ある日を境にジヨン氏には、母親や友人など身近な別人の女性が丸きり完璧に憑依した。女性の困難や差別をテーマにし、韓国で社会現象に。筑摩書房/1,500円。

診断結果:“女性だから”という理由の不条理が、自分をなくすほどのストレスに。

 キム・ジヨン氏が時々別人のように振る舞い、その記憶が本人にはないというのは、恐らく「解離」の症状です。これは、本人も気づかなかった大きなストレスを抱えきれなくなった時、無意識的に生じます。「解離」している間は、本人の意識は辛い現実から離れられるのです。その間に、ジヨン氏のように別人のようになったり、ある期間の記憶が抜け落ちたり、失踪して気づいたらいるべき場所からずっと遠くにいたなんてこともあります。前に、夫から暴力があるのに「大丈夫」といつも笑っていた関東圏に住む女性が突然失踪して、数日後大分県にいたことがありました。その間の記憶はなく、これも「解離」です。女性は周りに迷惑をかけたと泣いていましたが、わざとに違いないと勘ぐる人も少数ながらいました。ストレスは重くても目に見えないので、人知れず苦しみ続けることも多くあるのだと実感した一件でした。ジヨン氏にとって、「解離」が生じるほどのストレスとは何だったのでしょうか。それは社会的な差別の問題です。ある人が当たり前のようにしている言動が、別のある人をとても傷つけるということが思いのほか多くあります。映画『パラサイト』では貧富の問題の側面でそれが描かれました。この小説では、脈々とまるで当たり前のように続いている女性蔑視の問題が焦点になっています。男性が主体で動いているように錯覚する社会で、女性しか感じえない、男性には見えない辛さがこれほど強烈に存在するということをほとんどの男性が驚きとともに痛感するでしょう。それをしっかりと見つめていく必要性を感じるとても大切な作品でした。

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精神科医など。いとうせいこうとの共著『自由というサプリ 続・ラブという薬』が発売。

編集/
大池明日香

本記事は雑誌BRUTUS913号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は913号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.913
犬がいてよかった。(2020.04.01発行)

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