エンターテインメント

高山羽根子『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』のシバちゃん

星野概念「登場人物を精神医学で診る本の診断室」

No. 912(2020.03.16発行)
WORK WEAR 働く服は美しい

主治医:星野概念

症状:あのとき、工事現場で『お腹なめおやじ』にお腹をなめられたのに言い出せなかった、私と同じような子がほかにもいるんじゃないだろうか。
備考:幼い頃に少し嫌な思いをしたこと。誰にも気づかれず、なかったことにしていた記憶を、大人になった少女は、振り払うように走るのだった。集英社/1,300円。

診断結果:ふわりと浮かぶ雪虫のように、ふとした時に表れる傷の行方。

 生きていると色々なことがあって、多くは忘れたり、なんてことない思い出となります。ただ、中には特別な感情を伴う出来事もあり、その感情も一緒に冷凍保存されるように残ることもあります。生きづらさをもたらすのは、悲しみ、恐怖、不安などを伴う記憶で、何かのきっかけで冷凍が解けるようにその感情が「フラッシュバック」の形で再体験されると辛いです。本人がトラウマとして認識していない記憶も、実は心の傷として刻まれていることもあって、その場合、辛い感情を伴う記憶であることを気づかない場所にしまうように、無意識的に操作しています。今作の主人公シバちゃんも、中学の時「お腹なめおやじ」にお腹をなめられたり、高校の異性の親友ニシダとも、ただならぬ出来事があったようで、人格形成に影響を及ぼしていそうです。社会人になり、若者の中でちょっとしたカリスマになったニシダと数年ぶりに邂逅した時に走って逃げ出すのは、昔の何らかの感情が「フラッシュバック」したからでしょう。そんな自分にやや気づきつつもうまく感情を出せないのは、無意識的な、しまい癖ゆえかもしれません。最後にはニシダを気遣いさえするシバちゃんの優しさに心揺らされつつ、気づかぬうちに我慢しすぎていないか心配になりました。自分に心の傷があることを知ることは、自分を労るきっかけになる大切なことだと思います。

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ほしの・がいねん

精神科医。音楽活動もさまざまに行う。いとうせいこうとの共著『ラブという薬』が話題。

編集/
大池明日香

本記事は雑誌BRUTUS912号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は912号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.912
WORK WEAR 働く服は美しい(2020.03.16発行)

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