アート

【3月20日発売】大森克己の9年ぶりの写真集は、柳家権太楼の大ネタ『心眼』。

BRUTUSCOPE

No. 912(2020.03.16発行)
WORK WEAR 働く服は美しい

何もない「高座」を通じて、見えるものと見えないもの。

 淡いグレーの背景の上に、ぽつんと置かれた紫色の座布団。上手から和装の男が入ってきてその上に座ると、深々とお辞儀をしておもむろに話し始める。右を向き、左を向き、笑ったり泣いたり、急に怒りだしたり、優しく諭したり……。いつの間にか食い入るように男の顔を見つめている自分に気づく。

 写真家・大森克己による新しい写真集『心眼 柳家権太楼』。震災後に自宅付近から福島へと旅に出て撮った前作『すべては初めて起こる』から9年ぶりとなる本作、題材は“落語”なのだから驚く。以前から落語ファンだったという大森だが、現在の落語界を率いる一人である、柳家権太楼による『心眼』をたまたま高座で聴き、「落語を撮りたい」と初めて思ったという。ふつう落語の写真といえば、屏風の前にしつらえた立派な高座を思い浮かべるもの。しかし大森が用意したのは、何もないスタジオに座布団だけを置いた“ド”シンプルな空間。ここで柳家権太楼が『心眼』という大ネタを話すさまを、最初から最後まで撮り切り、一冊にまとめたのだ。

「大森さんからお話をいただいて、すぐに引き受けました。もちろん、やったこともないことだから、どんな写真になるのかなと思ったけどね」と笑うのは、今回の被写体となった柳家権太楼。

「今回の私はあくまでモデル。大森さんがプロとして写真を撮られるから、私は私で落語をやり切る。そこに写るのはいわゆる“落語”でもなければ“写真”でもないものになるだろうと思っていました。仕上がった写真集を見ても不思議な感じがしますね」

 その不思議さは、おそらく『心眼』というこの噺のせいでもあるのだろう。噺の主役は、目の見えない男・梅喜。ある日、実の弟に障碍を口汚くののしられて憤激した彼は、心優しい妻・お竹とともに、お薬師さまに目が治るよう熱心に願掛けをする。果たして願いは叶い、目が見えるようになった梅喜だが、献身的で、妻の鑑のようなお竹がこの世のものとは思えないほどの醜女だと知り、ふらりと目移りする……。

「見ているようで見ていないもの、見えていないのに見えるもの。“見る”というテーマをめぐる噺を、大森さんがさらに写真に撮っておられる。写真そのものも、レンズを通して“見る”ことでしょう? そうだとしたら、ここに写っているのは果たして何なんだろう? って思っちゃう。そういう、幾層にも重なった面白みがあるなあと」

 写真集の構成も独特だ。ページを繰ると、大森による、話し続ける権太楼の写真が、リズム良く、でも説明はなしに続いていくのみ。目を見開いたり、ぎゅっとつむったり。にっこりと優しげな顔があるかと思えば、この世の終わりのような苦しげな顔もある。実際に話されている『心眼』の書き起こしは巻末にまとめられているものの、読者は、まずは写真だけを見ながら、そこで何が話されているかを想像するしかない。写真を見終えてストーリーを読んだら、今度はそれを参照しながら写真を見返したくなってくる。一度ストーリーを知って見てみると、今度は、写真から声が聞こえてくるように思えるから面白い。権太楼が続ける。

「写真は写真だけで見せているのが、なるほどなあと思いましたね。写真の下に言葉がついていたら文字ばかりを追っちゃう。それでは絵本ですから。私自身は、もちろん一枚一枚、これはどこの箇所だってすぐにわかるけれど、噺を知らない人は、写真に写る私の顔をとにかく眺めるしかない。落語家ってこんな顔をしているんだ、って面白がってもらえるかなあ」

 大森が捉えた柳家権太楼の姿は、どの一枚にもすごみがある。通しで話す間にシャッターを切り続けた写真だが、どの瞬間にも、造形物のような美しさがあるのには驚く。背景に何もない、スタジオ空間で撮影しているから、その美しさはより際立つ。

「子供の頃から日本舞踊を習わされていたのが、所作につながっているのかもしれませんね。この撮影のときには、通しで2回“心眼”をやりました。ここでしゃべっているのは、私のようで私じゃない。権太楼さんがしゃべっているのを、どこかで私自身が聞いているような感じなんです」
 被写体自身がそう言うのだから、では果たしてここに写っている=見えるのは一体何なのだろう? 写真が写すのは果たして現実か、虚構か……。見る者を終わりのない問いに巻き込んでいく、全く新しい落語であり、写真だ。

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『心眼 柳家権太楼』

落語:柳家権太楼/写真:大森克己。3月20日発売。権太楼が60代に入ってから高座にかけるようになったという『心眼』を、通常の落語のステージではなく、無人のスタジオのなかで、大森が撮り下ろした。対峙する落語家写真家の息づかいが聞こえてくる。巻末にネタの書き起こしや、権太楼による語り、九龍ジョーのエッセイを収録。日英版。平凡社/3,900円。

photo/
Gonnosuke Yanagiya
text/
Sawako Akune

本記事は雑誌BRUTUS912号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は912号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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