アート

写真家・田附勝が出会った、倉庫に眠り続けてきた「縄文」と「近現代」の痕跡。

BRUTUSCOPE

No. 909(2020.02.01発行)
もっと おいしいコーヒーの教科書
田附 勝(左) 畑中章宏(右)

遺跡のかけらと新聞紙の奥にある「わからなさ」へ。

各地の博物館の収蔵庫や発掘現場で保管されていた縄文土器のかけらを撮影したシリーズで構成する展覧会『KAKERA きこえてこなかった、私たちの声展』を開催する写真家・田附勝。謎めいた遺物を捉えたその写真から広がる世界を、気鋭の民俗学者・畑中章宏と語る。

畑中章宏
田附くんは2011年の東日本大震災の以前から東北を撮ってきて、狩猟や漁業など伝統的な文化をモチーフにしてはいるけれど、「祭り」はあまり撮ってないですよね?
田附勝
そうですね、祭りそのものをテーマに据えたことはないですね。
畑中
祭りは地域復興のシンボルにもなっているし、潜在的な民俗文化の象徴だからわかりやすいということもあって、僕は祭りに関する仕事の依頼がわりと多いんですよね。自分で撮影することもあるし。でも祭りというのは「ハレ」、つまり非日常の一瞬であって、実際にはそれ以外の、日常の労働といった時間の方が圧倒的に長いわけで。外から来る観光客にとっては祭りの瞬間という“頂点”しか見えないけど、地元の人たちにとっては準備期間や片づけもずっと地続きで、それらも含めて祭りだったりする。その意味では、災害もまた非日常の出来事であるけれど、田附くんが被写体に選んできたものは、その前後にあるもの、「ずっと続いてきたもの」だと言えると思うんです。
田附
そういう「何でもない時間」を見なければいけないという気持ちはありますね。あの震災があってから、やっぱりずっと続いてきて確かに存在していると思っていたいろいろなものが、実はそうではなかったということがわかって、自分たちがどこの上に立っているのかわからなくなったところがあって。そもそも自分たちとは何なのか、と考えていた時、過去の“痕跡”としての縄文土器に出会ったんです。
畑中
今回の写真は、博物館の収蔵庫の中で新聞紙に包まれて保管されていた縄文土器を、その新聞紙と一緒に撮ったものだけど、これらの新聞紙もまたある種の過去の痕跡といえますよね。もちろん近現代に限られるわけですが。
田附
そう、最も古いものでは1918年のものがありました。そもそも考古学という学問自体が近代以後にできたものですよね。そして、これらの遺物は発見された後、研究が済んで長く倉庫に仕舞われていたもので、今後、世に出てくることはほぼない。つまり資料として記号化されてしまった存在というか。僕らはこれを「縄文土器のかけら」とひとくくりにしてわかってしまった気になっているけど、本来、この一つ一つはまったく違った存在であったはずで。ただその物語を知ろうと思っても、これらのかけらは僕らの問いかけに何も答えてくれない。そういう「わからないもの」が今も自分たちの足元に眠っているんだということが、何か大切な気がしているんです。
畑中
それはとても重要な視点だと思う。こうした遺物を、考古学者や歴史学者は読み解こうとするでしょう。祭祀に使用したとか、文様の意味はとか。しかし、そもそも「祭祀」という概念自体が近代以後に作られたものでしかないわけで、そうした現代の視点から切り取り、定義づけしてしまうことの問題がある。例えばキリスト教と仏教とイスラム教それぞれの信仰を、すべてをひとからげに「宗教」という言葉でくくってしまっていいのか? と。また昨今はちょっとした「縄文ブーム」で、「縄文時代は平和な社会で自然と共生していた」とか「縄文人のライフスタイルを現代に生かせる」とかいった言説を聞いたりすることがありますが、現代人の思考の枠組みを自明のものとして過去を判断すること自体を疑わないといけない。
田附
岡本太郎が発見した縄文」という歴史的な文脈もあって、一種の美化のような状況もあります。だけど、僕らは本当の意味で縄文時代をぜんぜん読み解くことができていないのかもしれない。そして、実は近現代さえ読み解けていないんじゃないかとも思うんです。
畑中
これらの写真に映っている新聞の紙面に書かれた見出しの「原爆投下」とか「ケネディ暗殺」といったニュースだって、本当のところはわからないですよね。例えば、なぜ戦争が起こったのか、教科書にはいろいろとその理由が書いてあるけど、それは過去の誰かがある視点からまとめ、支配的になった一つの物語にすぎない。現在進行中のものですらわからないんです。これらの一枚一枚の写真の中に、そうしたわからなさの重層性がある。そこが面白い。
田附
社会批判をしたいわけじゃないけど、今は何でもすぐ「答え」を見出そうとする時代じゃないですか。国同士の争いでも、この人物が悪いからそいつを殺してしまえばいいんだ、とか……。僕はもっと「わからなさ」に近づいていくべきじゃないかと思っていて。この遺物のかけら一つ一つに、失われたアイデンティティがあるのかもしれない。そのことを見届けたいというような気持ちがあるんですよね。

あざみ野フォト・アニュアル 『田附勝 KAKERA きこえてこなかった、私たちの声展』

〜2月23日、横浜市民ギャラリーあざみ野展示室1(神奈川県横浜市青葉区あざみ野南1−17−3 アートフォーラムあざみ野内☎045・910・5656)で開催中。10時〜18時。無休。展示される「KAKERA」シリーズの写真を収めた新刊写真集『KAKERA』(T&M Projects)は3月に一般発売予定。

「あけましておめでとう 技術の日産」1964年(昭和39年)1月1日 朝日新聞(撮影:2018年11月26日奈良県奈良市)

「凶手に倒れたケネディ大統領」1963年(昭和38年)11月23日 朝日新聞(撮影:2018年11月27日奈良県奈良市)

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田附 勝

たつき・まさる/1974年富山県生まれ。写真家2011年刊行『東北』で第37回木村伊兵衛写真賞受賞。著書に震災後の鹿猟を追った『その血はまだ赤いのか』、鹿猟の終焉を綴る『「おわり。」』ほか。

畑中章宏

はたなか・あきひろ/1962年大阪府生まれ。民俗学者、作家。著書に『死者の民主主義』『21世紀の民俗学』『災害と妖怪』
『天災と日本人』『柳田国男と今和次郎』『「日本残酷物語」を読む』など。

photo/
Kaori Oouchi
text/
Kosuke Ide

本記事は雑誌BRUTUS909号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は909号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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