小松左京作品の、譜面もない劇中曲をオーケストラで再現。その裏にある思いとは?
8歳で小松左京原作のSF映画『日本沈没』と出会い、「人生を狂わされた」という樋口真嗣さん。そこから映画界に足を踏み入れ、2006年には自ら同作をリメイク。作品への思いは今も格別だ。
「人類が滅亡してしまうような大変なことが起こるかもしれない可能性を、みんな小松左京さんから教わった。でも、若い人たちに聞いたら、名前も知らない人が多いんですよね。知っていて当たり前だと思っていたので、とても驚きました。どのぐらいすごい人なのかを、まずは伝えなければならないと思いました」
世田谷文学館での小松左京展を機に、何かもっとできることがないかと、映画監督で評論家の樋口尚文らと構想したのが、“音で聴く小松左京展”だ。
「ここ数年、日本でも音楽トラックを抜いた映画を流しながら、音楽を生演奏で聴かせるフィルム・コンサートがメジャーになったり、現代音楽の作家が仕事として参加した映画音楽なども再評価されている。小松左京さんの劇中曲だけで、コンサートができないかというのが『小松左京音楽祭』のきっかけでした」
しかし、道のりは簡単ではない。映画の後、テレビやラジオでもドラマ化されて語り継がれる『日本沈没』ですら、聞き覚えのある劇中曲を演奏したくても、譜面すら存在しないものが多いのだ。
「作曲家の伊福部昭さんの作品は比較的、譜面が残っている方ですが、同じくゴジラなども手がけた佐藤勝さんになると、ほとんど残っていない。それに伊福部昭さんのゴジラも、オーケストラ用の譜面だと、本物ではあるんだけど何かが違うんですよね。その違いは当時、限られた予算と編成で演っていたからだと教えてくれたのが、オーケストラ・トリプティークでした。彼らは、フルオーケストラからアンサンブルまで様々な形態で、日本の作曲家によるかつての音楽を譜面から起こし、編成や演奏もなるべく当時のままに再現してアーカイブする活動をしています。例えば、ゴジラシリーズのなかでも『ゴジラ対メガロ』では、正直、眞鍋理一郎さんの音楽にも当時は違和感を覚えていたんですが、そのオーケストラで演奏すると、かつての録音環境のせいもあったからか、明らかに豊かに感じられて、素晴らしい曲を聴けて良かっ
た という気持ちになったんです。彼らとの出会いが、小松左京作品だけでの音楽祭の実現を後押ししてくれました」
こうして、オーケストラ・トリプティークで、譜面のない小松左京の劇中曲まで網羅するコンサートを演る、初めての企画が動きだした。『日本沈没』もテレビドラマ版は、保存していた磁気テープの酸化で音源がない。ドラマのDVDから一曲ずつデータを作り、耳で聴いて、楽器ごとに譜面を起こさなければならない。必要なオーケストラの編成を集めるのにも、思った以上に膨大な時間とお金がかかる。そこで決断したのが、クラウドファンディングという選択だった。
「会場費の問題もありました。そこで、長年、小松左京さんのマネージャーをやられていた乙部順子さんに相談した。そうしたら、もともと東宝のスタジオで、それこそ佐藤勝さんらが映画音楽の録音に使っていたグランドピアノが、縁あって寄贈されている場所があると教えてくれたんです」
通常は外部利用できない、そのピアノがあるホールで、思い叶って開催できることになったというのは、なんとも運命的といえる。また、幸運な流れは続き、『日本沈没』の主題歌「明日の愛」や、悲劇的シーンで必ず流れたシングルB面の「小鳥」を歌った五木ひろしさんが、急遽、樋口さんの思いに応えてオーケストラ・トリプティークの演奏で出演することが決まった。
「五木ひろしさんとは知り合い伝手でつながって、ファンですと伝えました。もう、『小鳥』の音だけで、涙腺が緩んでしまうんですよね。僕らの世代は、『宇宙戦艦ヤマト』も『スター・ウォーズ』も、音楽として独立して聴くという習慣がありました。ビデオが発売される前の時代だったから、好きな映画をもう一度観たくても、その手段がなかったんですよ。だから何度も何度も音だけを聴いて、映画を追体験していた。音も映像も、今はヒット作しかパッケージングされずに、失われ、忘れ去られていく時代です。観られない、聴けない現状はほかにもあまたある。誰かが語り継がないとなくなってしまう素晴らしい作品を、どんな方法でもいいから声を上げて、形に残していかなければならないと思っています」

- photo/Masaya Nakaya edit&text/Asuka Ochi/
本記事は雑誌BRUTUS904号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は904号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。