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親が寝静まるのを待って、隠れて漫画を描いていました。| ちばてつや

TOKYO80s

No. 898(2019.08.01発行)
ことば、の答え。

ちばてつや(第二回/全四回)

ある晩、母がありったけのお米を炊いて、おにぎりを作っていました。私はリュックを渡されて、本当に必要なものだけ入れなさいと。印刷会社で裁断して余った紙をやれ紙といって、それに絵を描くのが好きだったので、いっぱい詰めました。あとは読みかけの本。そして夜中に逃げたんです。満州から日本に引き揚げる途中でも多くの人が亡くなりました。日本に戻るのに1年かかりましたが、一家揃って無事だったのは本当に運が良かった。父の田舎である千葉の飯岡に1年間預けられて、東京へ。父が仕事を見つけて粗末なバラックに移り住んだのは、私が小学3年生の頃でした。そして木内君という絵が好きな友達ができた。お寺の一人息子で、彼の家には漫画の本がたくさんあって。読んだ本を交換したり、絵を描きっこしたり、すごく気が合ったんです。漫画も見よう見まねで2人で作りましたね。中学は日大一中へ。それはね、私がよく言えばおおらか、悪く言えばどこかぼーっと抜けちゃってるから。何をやらされても要領が悪い。新聞配達をしても地図が頭に入らなくて、「明日から来なくていいよ」。夜中に両親がヒソヒソ心配してるんですよ。「てつやはどうやって生きていくんだろう」って。だから中学校は大学まであるところがいいと考えたみたいです。それでも私は親に隠れてずっと漫画を描いていました。母親がそれを話したんでしょうね。同じ出版社にいた松崎さんというおばさんが、こっそり新聞の切り抜きを持ってきてくれました。児童漫画家募集の三行広告。高校1年生のときです。自分が描いた漫画を持っていきました。貸本屋専門の小さな出版社で、学生が来たから「何しに来たんだ?」って感じでしたけど、「描いたものはあるの?」と言われて見せたら「なんだこり
ゃ⁉」。広告紙の裏に鉛筆やクレヨンで描いてましたからね。だけど少し見込みがあると思ってくれたのかな。こうやって描くんだよと、プロの原稿を見せてくれました。そしてきれいな紙をくれたんです。プロの仕事はすごいなあ と思いましたね。Gペンで描くことを初めて知って、帰りに持っていたお金を全部使ってペン先や墨汁を買いました。親が寝静まるのを待って夜中に作業。学校にも行ってたので128ページ描き上げるのに3ヵ月。その漫画を持っていったら1万2361円をもらえました。私にとっては大金でしたよね。(続く)

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ちばてつや

1939年生まれ。漫画家。『あしたのジョー』他著書多数。『ひねもすのたり日記』連載中。

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS898号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は898号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.898
ことば、の答え。(2019.08.01発行)

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