ラジオ初体験は小学6年生の時、高田文夫さんが作家の番組だった。そこからバラエティに夢中になったという、テレビプロデューサーの佐久間宣行さん。年は父と息子ほど違うが、今の日本の“笑い”を底上げしてきた2人が初めて思いを交わした。
- 高田文夫
- 43歳って、うちのせがれと同い年だから、完全に親子だよな。
- 佐久間宣行
- 最初に聴いたのが『ビートたけしのオールナイトニッポン』でした。伊集院光さんの番組に出させていただいた時、高田先生が笑う時はこっちの方が面白いという誘導のサインだという話になって。
- 高田
- そう、俺が笑うから、ここがウケてるってわかるんだよな。70年代の終わりまで、ラジオはしゃべり手とリスナーとの関係だけでやるものだとみんな高をくくってたんだよ。「これは君と語り合う番組です」ってさ。俺はそういう田舎っぺが大嫌いだから、たけちゃん(ビートたけし)と東京のことばだけでやろうって。同じ東京でも世田谷の山の手の坊っちゃんの俺には、足立区の貧乏人のたけちゃんが言うことが全然わかんないんだよ。ことばも文化も違いすぎて。それが面白くてすごくいいなと思った。それでたけちゃんに、適当にしゃべっていいけどこれだけは趣旨だから必ずと、冒頭のトークの後に1行だけ「この番組はナウな君たちの番組ではなく、完全にオレの番組です」って言ってもらったの。その瞬間、ビートたけしっていう男の生き方が決まったんじゃないかな。
- 佐久間
- すげぇ面白い話ですね。それこそがことばの力ですよね。そのことはたけしさんには相談せずに?
- 高田
- してないよ。しかもさ、よく一緒に飲んでたのに、フルネームがビートたけしだっていうのも新聞のラジオ欄で知ったんだよ。当時の番組では作家は声を出せないから、紙に筆記して指示を渡すでしょ、あの人早口だから追いつかなくて、3週4週経つうちに、つい声が出ちゃう。そしたらテンポが上がってきたの。笑いや反応があるとどんどん面白い発想が出てくる。漫才師なんだよ。ライブの人なの。それで俺が合いの手を入れるようになった。
- 佐久間
- 僕もラジオをやらせていただくようになって、一人しゃべりって地獄のように大変だと知りました。
- 高田
- すごいよね。俺が知ってるしゃべるディレクターは矢追純一以来。
- 佐久間
- うわー、嬉しいけど複雑!
- 高田
- 俺なんか『ビートたけしのオールナイトニッポン』を10年、『ラジオビバリー昼ズ』を30年やってるけどラジオでは一度も一人はないよ。反射神経だけで40年しゃべってる。それで太田(光)いわく、今がピークだっていうんだから。
- 佐久間
- 反射神経の割には、今も7:3くらいの割合で先生がしゃべってますよ(笑)。少し前にオードリーの若林(正恭)も高田先生に呼ばれてビバリーに行ったけど、めちゃくちゃしゃべるって言ってました。その回も面白かったです。
- 高田
- それを爆笑の太田も嫉妬してた。何でもひがむんだよ、アイツは。
- 佐久間
- オードリーもだけど、有吉(弘行)さんも猿岩石の後、ラジオで使ってましたよね。若い才能を見つけているのは好きだからですか?
- 高田
- 人を楽しませるのが好きだから、楽しませてくれる若い子が出てくると応援したくなるんだよ。この間のオードリーのツアーでも、家からリトルトゥースTシャツを着て行くのは71歳で最年長の俺だけだよ。
- 佐久間
- (笑)。高田先生はいわゆる天才との付き合いどうしてます?
- 高田
- 何もしてないよ。俺はさ、危険物を扱うのがうまいんだよ。好きなヤツの懐に入っちゃうんだよね。好きだから。そうするとみんな心を許す。昔は、酒飲んで最終的にソープに行くなりする、それだけだもん。
- 佐久間
- 今は大物のドンがいない代わりに、それぞれに才能があるから、付き合い方が全然違うんですよね。
- 高田
- 才能を育てるには、あいつが面白いってメディアで書くなり、ラジオで話すなり、ことばに出すこと。悪口は言わない。直すべきところは直接言う。作家はしゃべれないとダメ。面白くないと芸人にナメられる。
- 佐久間
- 芸人たちが僕たち作り手に百のネタを出してもわかってもらえないと判断すると、普段からやっているネタでいいかと思われますよね。
- 高田
- 逆に僕たちが面白いと思うと彼らのサービス精神が燃えてくる。古今亭志ん生が「話し下手、聴き上手に助けられ」と言ったけど、聴き手が悪いといい芸もできない。俺が立川談志のところで落語をやって真打になったのも芸人に馬鹿にされないため。それに憧れて落語を始めたのが、春風亭昇太、立川談春、立川志らく、柳家喬太郎。おかげで落語人口が増え、俺は落語の中興の祖よ。
- 佐久間
- 中興の祖! しかも寄席のプロデュースもされていますよね。
- 高田
- それも若手を育てたくて。
- 佐久間
- 演者、作家、プロデューサーと3つは顔がある。すべてやってる人っていないですよ。すごいなと。
- 高田
- 表現方法は違うけどやってることは同じ、“笑い”だけなんだよ。大阪のコテコテじゃない、東京の笑いをさらりと残したいという思いはあるね。ビバリーが始まった40歳の頃、談志に呼び出されてさ、「俺ももうさすがに年を取った」って言うんだよ。まだ50過ぎなのに、「今は俺も永六輔も世の中がわかんない。これからはお前が面白いと思ったこと、人、ネタを東京の基準にしよう。俺が責任を負うから」って。
- 佐久間
- すげぇ話ですね。高田先生は譲れる人がいなくて大変ですね。

高田文夫/放送作家
たかだ・ふみお/1948年生まれ。『オレたちひょうきん族』などに放送作家として携わる。88年、立川流真打昇進。『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』は今年で30周年を迎えた。
- photo/
- Katsumi Omori
- text/
- Asuka Ochi
本記事は雑誌BRUTUS898号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は898号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。