エンターテインメント

山田詠美『つみびと』の笹谷蓮音

星野概念「登場人物を精神医学で診る 本の診断室」

No. 897(2019.07.16発行)
決闘写真論

主治医:星野概念

名前:山田詠美『つみびと』の笹谷蓮音
症状:蓮音には、(中略)幼な子たちの悲劇と、自身を結び付けることが、いまだに出来ない。本当に、私は、あんな残虐なことをしでかしてしまったのか。
備考:なぜ母親は、灼熱の夏に幼い子供を置き去りにしたのか。虐待やネグレクト、複雑な家庭環境が生んだ悲劇の背景に迫る長編フィクション。中央公論新社/1,600円。

診断結果:抜け出せない渦のように、世代を超えて連鎖する暴力の正体。

 現実にあった大阪二児置き去り事件を想起させるこの作品。現実と違うのは、我々が事件の関係者たちの複雑な事情や本当の気持ちを知れるという点です。なぜならこれは小説で、真夏に幼い2人の子らをマンションの一室に置き去りにして死に至らせた虐待事件の被告、笹谷蓮音と、その親や子、親族や友人の物語が細かく描かれているからです。読後は、様々な暴力や思いやりの欠如の塊に翻弄されざるを得なかった蓮音の人生に言葉を失い、「つみびと」は誰かと考えても、蓮音と言い切ることはできないでしょう。虐待は連鎖する、と言う人がいますが、それは、どうにもできない孤独感が世代を超えて悪循環するということかもしれません。呑み込まれると、まるで抜け出せない恐ろしい渦のような。こう考えるとつみびとを特定することはナンセンスな試みに思えます。一方で、現実的にはこの上なく悲惨な事件。蓮音の立場がつみびとであると社会で考えられることは不自然ではないような気もします。どう捉えることが正しいのか、結局答えは出ません。でも、本作を読むと、少なくともこの人の環境だとどんな気持ちなのか、などを十分に想像しようとはするのではないでしょうか。そしてそれこそが、様々なショッキングな事件に対する真摯な向き合い方のような気がします。よく考える、という地味な営みの大切さを改めて実感しました。

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ほしの・がいねん

精神科医。音楽活動もさまざまに行う。いとうせいこうとの共著『ラブという薬』が発売中。

編集/
大池明日香

本記事は雑誌BRUTUS897号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は897号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.897
決闘写真論(2019.07.16発行)

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