浅草を舞台に写した肖像の集大成、『PERSONA最終章 2005−2018』が刊行。
写真家・鬼海弘雄は浅草寺を舞台に、無名の人々を45年もの間撮り続けてきた。ハッセルブラッド製のカメラを手に、朝から日没まで境内の片隅に立ち、そしてただ、「何か」をじわりと感じられる被写体が通りすがるのを待つ。日に一人、二人出会えれば幸運だ。シャッターを切ることなく帰宅の途に就くこともある。それでも、これまで1000人を数える人々をフィルムに収めてきた。
鬼海は一風変わった経歴を持つ。山形県に生まれ、大学で哲学を学んだのち、トラック運転手や職工、遠洋マグロ漁船の乗組員、暗室マンなどを経て写真家へ転身。「写真ってシャッターを押せばいいだけでしょ? 簡単だろうって思ったんだ(笑)。ところがね、何も写らないんだよ。自分に根がなければ、ね」
1973年から浅草の地で撮影をスタートし、初期には風景とともに人物を写した。程なく鬼海は背景の情報を排除し、朱色に塗られた境内の壁の前に立つ人物のみに焦点を当てるスタイルを確立する。もちろんモノクロ写真には、壁の朱色も人の服の色も写っていない。だが、まるでさっきまで境内のベンチに腰かけていたかのような、鳩に餌を撒いていたかのような人の姿がある。
166人の肖像を収めた写真集『PERSONA』が出版されたのは2003年のこと。立ちんぼの女性、ホームレスの男性、大工の棟梁……と、性別も職業も年齢も様々な人々が並び、「子どもの頃から目立ちたがりやでよくいじめられていたが……と話す男」「左手でも撮れるカメラをようやく見つけたというひと」など、それぞれには鬼海による独特の口調でキャプションが添えられている。彼らのいでたちには生活感や思想までもがあぶり出され、「生きる」ことへの哀愁やプライドさえも読み取れるだろう。そんな市井の人々の姿に、やはり、生きることは孤独で過酷だと再認識させられる。だが同時に、得体の知れない強さに、奇妙にも取り憑かれることになる。普通でいて、普通じゃない、と。
「人から滲み出る寂しさみたいなものを焼き付けたいと願っているからね。その思いだけがこれまで僕を突き動かしてきたんだよ。でも簡単に撮れるものじゃない。何度も繰り返し同じ道を通って辛抱強く待つ。そうすると、本当に時々、ふと出会えることがあるんだ」
そしてこの春、鬼海は撮影に区切りをつけ、『PERSONA最終章 2005−2018』を刊行。丈の短いドレスに、頭の両サイドに留められたリボン、ぎらりと反射するサングラス。「銀ヤンマのような娘」とタイトルを付された表紙の少女がこちらを見据えている。娘の趣味や話し方、ひいては家系図までにも思いを馳せることになる、強烈な一枚だ。
「大事なのは、人間というものがどういう生き物なのか暗示をくれる人を写すことだね。人間の本質が垣間見られないとつまらないから。見ている人のなかの沈殿した記憶が動き始めるか。想像力を掻き立てるものになっているか。概していい写真というのはそういうものだよ」
誤解を恐れずに言えば、鬼海が撮り続けた人々の個性は浅草という土地ならではのもので、『BRUTUS』誌を購読するような人たちにはちょっと異質に感じられるかもしれない。だが、いや、だからこそ、写真を眺めていると、どれだけ自分が“見せかけ”なのかということを突き付けられる。そこに鬼海弘雄という写真家の手腕があるのだと思う。
「ほんとはね、写真集の表紙にこんなに大きく“最終章”って書くつもりはなかったんだけど(笑)。でも、僕ももうそんなに先が長くないからね」。写真家は、ぽつりと言った。
「写したいと思った人たちは、僕が生まれた山形県の小さな農村から高度経済成長期に働きに出た人たちの面影や、トラック運転手やマグロ船で働いていた時に知った人たちを思い起こさせるんだ。その姿はどこか自分に通じて見えるんだよ」
45年の歳月を、雑踏のなか同じ場所にじっと佇む写真家の姿を想像する。鬼海もまた、自身がカメラで捉え続けてきた市井の人たちのなかの、名もなき一人なのかもしれない。
- photo/
- Natsumi Kakuto
- text/
- Shiho Nakamura
本記事は雑誌BRUTUS894号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は894号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。