人生仕事

作家を目指したのは、「太平の逸民」に憧れたから。

TOKYO 80s

No. 891(2019.04.15発行)
曜変天目 宇宙でござる!?

なかにし礼(第三回/全四回)

 引き揚げで日本に帰還し、小樽と青森に移って、そして東京へ。居場所がなかったんです。小樽には父の実家がありましたが、父はハルビンの強制労働から病気で帰ってきて、すぐに亡くなりました。僕は満州で故郷を失い、父を失い、すべてを失った。息子を失った祖母は、嫁と孫が帰ってきても喜ばない。そして今度は、特攻隊の生き残りである兄が戦争から帰ってきて、小樽の家を質に入れて、ニシン漁に投資して失敗。家まで失いました。それから転々とするわけです。でもね、命を失わない限り、これもまた一つのエピソードでしてね。そういうエピソードが、数々と連なって起きるのが僕の運命のようです。中学で東京に出てきて、高校は九段高校に行きました。家が貧乏でしたから、決して毎日が楽しかったわけではないですが、学校に行けばホッとできた。その頃、僕は文学少年になっていました。子供の頃から作家になりたいと思っていて、きっかけは夏目漱石の『吾輩は猫である』。その中に出てくる「太平の逸民」という生き方に憧れてね。国にも会社にも仕えず、自由民であること。僕もそうなろうと、子供心に誓ったわけです。大学は文学部に行きました。僕は数学がダメでしたから早稲田や慶應は難しい。受験科目に数学がない立教を受験しました。立教は3回受けて3回とも受かりました。最初は兄貴と喧嘩して家出してね。入学したけれど、続かなかった。アルバイトで食いつないで、翌年また受けて。今度もまた授業料を払い続けられなくて除籍になって、翌年も受けました。その頃にはシャンソンの訳詩でお金を稼げるようになっていました。もう大学には行けないと思っていたので、何かを身につけておかなくてはと、アテネフランセに通ってフランス語をかじっていたおかげで、シャンソンの訳詩ができたんです。知らない世界で何かに出会えるかもしれないという思いとともに、大学に入ってはみたのですが、最初に入った英文科はつまらなかった。3年生の時に、フランス文学の最高峰である渡辺一夫先生が、東大を退官して立教に仏文科を作ったんです。これは行かないわけにはいかないと、転部の試験を受けて合格しました。仏文科の2年間はすごく楽しかった。シャンソンの訳詩でわからないことがあれば先生にも聞けたしね。最高でした。これもまた巡り合わせなんですよね。(続く)

なかにし・れい

1938年生まれ。作家、作詩家。近著に『芸能の不思議な力』。

第1回第2回第3回第4回

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO
TEXT/
KUNICHI NOMURA

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No.891
曜変天目 宇宙でござる!?(2019.04.15発行)

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