美術

九代 長江惣吉

現代作家による曜変への挑戦。

No. 891(2019.04.15発行)
曜変天目 宇宙でござる!?
2006年焼成に成功し、《曜変》と名づけた2碗のうちの一つ。

建窯窯址に通い詰め、宋時代に生み出された 曜変天目の完全再現に挑む、孤高の陶芸家。

杭州で曜変天目の破片が見つかった、あるいは8Kで国宝の曜変天目を撮影する。そんな機会に必ず現場へ呼ばれるのが、長江惣吉さんだ。江戸時代には原料土の採掘を行い、明治以降は窯屋を営んできた家に生まれ、曜変天目の再現を追い求めた父、八代長江惣吉の死後、32歳の時に「やむを得ず」その志と研究を引き継ぐことになった。ただし、先代は研究資料を残しておらず、実のところ引き継げるものはほとんどないに等しかったという。

かつて大量生産の染付を作った工場での作業は弟子もなく1人きり。

形状は端正な天目形。抹茶碗だけでなく、中国茶用の茶杯も作る。

「その状況で何ができるか考えた時、国宝の曜変天目3碗そのものを詳細に観察すること、そして曜変天目が作られた建窯を調査することしかありません。幸い、父と交流のあった中国研究者の方々の尽力で、当時まだ外国人が入るのは難しかった建窯跡へ、父の亡くなった翌年にすぐ行くことができたのです」

建盞と窯道具の匣鉢の破片がいくつもの丘となって連なり、「地形」を作り出している。1996年、建窯窯址に初めて立った長江さんは、想像を超える巨大なスケールと、そこで見つかる破片のレベルの高さに魅了され、今度こそ自らの意志で、曜変天目再現に身を投じる決意を固めた。以来、取り憑かれたような建窯通いが始まった。
 
宋代建盞の分析値と比較しながら、周辺の地質調査を行って素材となる土を集め、陶片の観察から酸性ガス法(温度を下げていくタイミングで窯の中に酸性ガスを発生させ、ガスの化学作用で釉に光彩を発現させる)に注目するようになった。

宋時代には存在しない技法で、自らの表現として作った《曜々盞》。

明治時代頃から使っていた古い作業場は、現在では倉庫に。

左は釉になる鉄分の多い石で、右は胎土となる粘土。建窯で採掘。

現在、釉薬に光彩を出す技法の中心は重金属を使うものだが、これは時間が経つにつれて劣化する可能性があり、かつ宋時代の設備では実現不可能だとして、採用しなかった。実は先代の残したわずかな手がかりの中に、1917年にヨーロッパで発表された、窯での焼成時に塩素ガスを使って光彩を生じさせる、という内容の論文への言及があった。異なる道を通って、図らずも父と同じ結論に辿り着いたわけだ。建窯周辺で多量に産出される蛍石を使えば、効率よく酸性ガスを発生させられること、またこの仮説の傍証となり得る蛍石の残滓や、釉の一部が白く変色した陶片なども、窯址で発見済みだ

「実際、フランスのジャン・ジレルさんをはじめ、曜変天目に近づいている世界各地の陶芸家たちは、みな基本的に酸性ガス法を用いています。大事なのは、酸性物質に水、還元。建窯周辺の陶芸家は脂の多い当地の松の根を、ジレルさんは火山岩を使って、酸性ガスを作り出していると聞きます」。中国台湾の作家と交流を重ね、瀬戸の工房だけでなく、建窯に造った登り窯で焼成を試み、「皆でやればいいじゃないですか」と技術の解説も厭わない。

早い段階で、建窯周辺の土、石を80トン確保し、ストックしてある。

曜変天目を焼くのは強制排気装置を備え、完全密閉できる特別な窯。

作業場を埋める窯道具。すべてのプロセスを1人でこなす。

Soukichi Nagae

1963年愛知県生まれ。95年から曜変再現研究に着手。東洋陶磁学会「曜変の再現研究」
発表、東洋陶磁学会「宋代建盞の光彩の研究」論文集掲載、中国科学院古陶磁科学技術国際討論会「曜変の光彩の再現研究」論文集掲載ほか。

photo/
Tadayuki Minamoto
text/
Mari Hashimoto

本記事は雑誌BRUTUS891号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は891号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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曜変天目 宇宙でござる!?(2019.04.15発行)

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