書籍・読書

町屋良平『ぼくはきっとやさしい』の岳文

星野概念「登場人物を精神医学で診る 本の診断室」

No. 889(2019.03.15発行)
服があるのに、着たいものがない?

主治医:星野概念

名前:町屋良平『ぼくはきっとやさしい』の岳文

症状:ぼくは黙った。こんなに物事に相対する感覚、感想がおなじなのだから、つたわっているとおもっていた。口にださずとも。

備考:学生時代、全力で相対したピュアな恋と友情。無気力系男子が親や兄弟をも巻き込んで成長していく姿を描くキラキラとした青春恋愛小説。河出書房新社/1,400円。

診断結果:大人への道のりは、全力で、独りよがりで、愛おしい。

 岳文は自己完結思考の20代。高校、大学の同級生、冬実に惚れた理由も謎で、窓の外を見る冬実の瞳に雪が映り、自分も外を見ると雪が降っていた、という出来事になぜか心打たれたから。岳文は冬実に突然告白し、付き合います。でも、仏教を語ったり、日記や瞑想が趣味と話すなど、悪気はないものの会話は独りよがりで冬実はいつも置いてけぼり。結局、岳文の友達で優しい照雪のことが好き、と振られます(照雪もすぐ、優しさ以外魅力がないと振られるのですが……)。岳文には、自分にばかり目が向く「ナルシシズム」の強い傾向があり、他人の立場を考え共感することが苦手です。特に恋愛は失敗ばかり。冬実には木更津の海へ、インドで出会ったセリナにはガンジス川へ突き落とされ、弟の彼女に惚れたらストーカー扱い。母には「男メンヘラ」と言われ、踏んだり蹴ったりです。そんな岳文を持ち前の共感力で何となく、かつ揺るぎなく支えるのは照雪。2人は対照的だからこそ噛み合い、特別な存在です。岳文はひどい体験を重ねながら、徐々に周囲にも目が向くようになります。若い時代、誰でも自分がよくわからず苦しみます。それを年齢不相応に引きずってしまうのが「メンヘラ」と呼ばれる状態かもしれません。そこからの成長の過程が精緻に描かれる少し大人の青春小説。人には言いたくない、自分の過去の苦い体験を思い出したりしました。

ほしの・がいねん

精神科医。音楽活動もさまざまに行う。いとうせいこうとの共著『ラブという薬』が発売中。

編集/
大池明日香

本記事は雑誌BRUTUS889号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は889号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.889
服があるのに、着たいものがない?(2019.03.15発行)

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