書籍・読書

ナチ侵攻で霧散した、 欲情渦巻く幻想都市。

滝本誠のCAFÉ NOIR

No. 889(2019.03.15発行)
服があるのに、着たいものがない?

 フランツ・カフカの手紙や日記から娼婦の館通いやエロティックな妄想の記述は編者マックス・ブロートによって削除されていた。作曲家レオシュ・ヤナーチェクは若き愛人カミラとの愛の行為のさなかに天上に召された(噂)。ノーベル賞受賞の詩人ヤロスラフ・サイフェルトは、通りすがりの裏通りの家の窓のカーテンがあき、そしてにっこりほほえむ少女が白いブラウスを脱ぎすて誘惑のポーズをとる、この青春の一コマを人生最高の思い出のように晩年書き記す……。

 これらは、ゴシップに知と血をふりかけてプラハの底知れぬ魅力と悲劇を語りつくしたデレク・セイヤーの大著『プラハ、二〇世紀の首都 あるシュルレアリスム的な歴史』(阿部賢一+河上春香+宮崎淳史訳/白水社)のわずかのエピソードにすぎない。筆者にとってのプラハは、マイリンクのユダヤ神秘小説『ゴーレム』が捉えた階段の少女の内またのくすんだ欲情が象徴するなにかのまま、時間がすぎたが、セイヤーの本書によって、この予断こそがプラハとわかってうれしい。ちなみに、プラハのシュルレアリストへの関心は、ヴィーチェスラフ・ネズヴァル+インジフ・シュティルスキーの大胆な『性の夜想曲』(赤塚若樹編訳/風濤社)に驚いたことから始まったが、この2人が、パリのシュルレアリスト、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアールらをプラハに招いた1935年が前半の記述のクライマックスのひとつである。たえず、あたまに置いておかなくてはならないのは、ナチが政権をとったのが1933年という事実だ。プラハが蓄積してきた性と文化にとって、壊滅はすぐそこにあったのである。カフカが『流刑地にて』で予見したように、流刑地としてのホロコーストが身近なものとなりつつあった。公式にはミュンヘン会議で、イギリスフランスがナチ・ドイツチェコの一部割譲を差し出す身勝手で万事休す。泣かせるのは、チェコが生んだ最大の発明品=ロボットの作者カレル・チャペックの落胆であろう。イギリスにあこがれ、賛美してきた当のイギリスによって、チェコがナチに差し出されたこと。チャペックは意志的な自然死を遂げた。

たきもと・まこと

東京藝術大学卒業後、編集者に。著書に『映画の乳首、絵画の腓 AC 2017』(幻戯書房)。

本記事は雑誌BRUTUS889号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は889号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.889
服があるのに、着たいものがない?(2019.03.15発行)

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