ファッション

眼鏡|大杉隼平

Treasures from my father. 価値あるものを譲り受けて。

No. 889(2019.03.15発行)
服があるのに、着たいものがない?
約400本の眼鏡を所有していた父から受け継いだ特別な3本。上から順にマイキータ、アンバレンタイン、トムブラウンのもの。多くの眼鏡は、知人や俳優仲間の手に届けられた。

一緒に見たかった世界の風景を 父の眼鏡を通して切り取った。

「父が急死してテレビを観なくなっていました。でも死後に放映された『アナザースカイ』を観て、父の“66歳でも希望がある”という言葉に救われたんです。僕は今36歳。まだまだ希望を持たなきゃいけないって思えました。茶フレームのアンバレンタインの眼鏡はその時に父が着けていたもの。これを掛けるとその言葉を思い出して、頑張ろうって思えます」
 
父は昨年この世を去った名俳優、大杉漣。一方息子の大杉隼平さんは様々な舞台で活躍する写真家。フィールドの違う2人だが、プライベートではいつも親友のようだったと隼平さんは話す。
「21歳から24歳くらいまでのロンドンに住んでいた時期はあまり会えませんでしたが、それ以外はよく一緒に服を買いに行ったりしていました。ここ何年かは週に2日ペースで一緒にご飯も食べていましたね。僕が新しい服を着て会いに行くとすぐに“それどこで買ったの?”って聞いてくるんですよ」

親子でスイス堂に行く際にスマートフォンで撮影した写真。お店とは家族ぐるみの付き合いだったそう。

役に合わせて眼鏡をセレクトする漣さん。家には400本ものストックが。その中の何本かは1947年から続く東京・仙川の眼鏡店〈スイス堂〉のものだったそう。
「僕がスイス堂を気に入っていて、一緒に行こうって言ってたんです。そしたら父が、仙川を散歩するロケ番組で、僕と行く前に、“あっ、ここ隼平の好きな店だ”って偶然お店に入って。それからは親子で通うようになりました。3本ともすべて父がスイス堂で買ったもので、作り直して使っています。『アナザースカイ』で掛けていたアンバレンタインの眼鏡は、“隼平が使って”と、誕生日に母か
ら渡されました。トムブラウンのハーフリムは、亡くなる3日前に父が作っていて受け取れなかったもの。僕が引き取りに行ったら、何も言っていないのに店主の西根大介さんが僕用に作り替えてくれていたんです。青フレームはマイキータ。僕が好きなブランドで使っていたら、自分も欲しいと言って買いに行ったものです」
 
隼平さんは昨年、父から受け継いだ眼鏡を掛けて、世界10ヵ国を回っている。
「どの国に行きたいか、という話をよくしていました。なにげない会話の一つ一つが急に約束のように思えてきて……。自分を見つめ直す意味も込めて、話していた世界を父の眼鏡と写真を持って旅したんです。この眼鏡は保管することより、身近なものとして、これからも使っていきたいです」

おおすぎ・しゅんぺい/ロンドンで写真を学び写真家に。広告、雑誌などで活躍し、個展活動も積極的に行う。4月5日~7日徳島・あわぎんホール、4月13日21日東京クロマティックギャラリーで『wherever – 揺れゆく時の中で –』を開催。

photo/
Koh Akazawa
edit&text/
Naoto Matsumura

本記事は雑誌BRUTUS889号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は889号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.889
服があるのに、着たいものがない?(2019.03.15発行)

関連記事