書籍・読書

町屋良平『1R1分34秒』のぼく

星野概念「登場人物を精神医学で診る 本の診断室」

No. 888(2019.03.01発行)
WE LOVE 平成アニメ

主治医:星野概念

名前:町屋良平『1R1分34秒』のぼく

症状:なにがわかる。おまえになにが?(中略)ワンツーを打てないボクサーのなにが? いつまでも右ストレートに脅威のないボクサーでいるぐらいなら、死んだほうがいい。

備考:自分の弱さ、その人生に厭きていたプロボクサーの主人公。駆け出しのトレーナーとの日々が心身を、世界を変えていく。2019年、芥川賞受賞作。新潮社/1,200円。

診断結果:若き日の“青いアイデンティティ”に寄り添う。

21歳のボクサーの「ぼく」。毎回相手を研究し、夢の中で親友になるほど。それを引きずるからか、試合に勝てません。色々と考えすぎる「ぼく」は、試合後も虚無。木々に光を遮られた自室で、部屋と人生を重ねたりします。iPhoneだけで映画を撮る唯一の友達は、「ぼく」のそんな悲観的な思考を認めませんが、彼もまた無名。嘘か真か、彼が映画で受賞したと言った時、祝福ではなく嫉妬を覚えた「ぼく」は、自分に落胆します。「ぼく」も友達も、社会的評価による「自己肯定感」はなく、「自分は◯◯だ」という「アイデンティティ」は未確立です。ある時、スランプに陥った先輩のウメキチが「ぼく」のトレーナーになります。前トレーナーに見捨てられたと卑屈になる「ぼく」に、ウメキチは言葉を尽くし、「ぼく」の身体的な癖や考えすぎる傾向を肯定します。ウメキチをゲーム的にしか信頼しなかった「ぼく」ですが、次第に本当の信頼に近づき、ウメキチも自分の苦悩を吐露し、関係に上下はなくなっていきます。この「ぼく」の根底にある「アイデンティティの不安定さ」は、多くの読者に覚えがあるでしょう。同じ目線で対話し、時には拒絶されても伴走を続ける同世代のウメキチは理想的なセラピストのようでした。青春は、過ぎると忘れてしまいがちな、当事者しかわかり合えないグラグラを内在しているということを改めて考えました。

ほしの・がいねん

精神科医。音楽活動もさまざまに行う。いとうせいこうとの共著『ラブという薬』が発売中。

編集/
大池明日香

本記事は雑誌BRUTUS888号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は888号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.888
WE LOVE 平成アニメ(2019.03.01発行)

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