美術

奇想の前提

会田誠、 奇想を語る。

No. 886(2019.02.01発行)
死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100

僕は「奇想」のそのまた前提となる、とても初歩的なことを語ってみます。

表現というのはある条件が揃うと「奇想化」しがちです。ある時代、あるエリアで、足並み揃えて。それはかなり高い確率で起こります。「奇想化」には別の名前の仲間がいろいろいます。代表格は海の向こうの美術の親戚筋ーーもともと〈歪んだ真珠〉というネガティブな意味の「バロック化」。あとはルネッサンス直後のイタリアに現れた「マニエリスム化」。「ロココ化」も女々しさに偏りすぎだけど、まあ仲間かな。さらに僕なんかは美術を離れて連想を広げてしまいます。ビートルズ世代のあとに来た「プログレ化」や「ヘビメタ化」。本気の喧嘩や競技レスリングからの「プロレス化」。コギャルから「ヤマンバ化」なんてのもあったっけ。「ウルトラマン・エース以降の超獣化」なんて訳わかんない言葉さえ作っちゃいます。まあ枚挙にいとまはありません。
 
これらには共通点があります。まず、バランスのとれた、(一見)ファイナルアンサーと思える完璧な出来のものを量産した、ムカつくくらい立派な先輩たちがいること。その先輩たちは(一見)やれるべきことは全部やり尽くし、あとはぺんぺん草も生えない荒地を残して、充足した気分で天国に行っちゃってること。でも残された後輩たちは先輩たちを基本リスペクトしてて、その仕事を引き継ぎたいと思っており、抜本的なちゃぶ台返しは望んでないこと。
 
そして、わりと泰平の世が続いていること。ぼんやりした不安とかはあっても、天地がひっくり返るようなことがあって、生命の危機からアドレナリンがドパドパ出て、ほとんどの人がシリアスにならざるを得ないような社会情勢でないこと。
 
これらの条件が揃うと「奇想化」が始まりがちです。すなわちーー凝る、盛る、大袈裟になる、やり過ぎる、くどくなる、歪む、変になる、不気味になる、ヤバくなる、笑っちゃうようなものになるーーといったことが表現に起こるのです。
 
そのあとの展開もだいたい似ています。まず、素晴らしい先輩のご贔屓さんたちからは、出来の悪い後輩と見られ、がっかりされます。でもマニアックなファンはがっちり付きます。なぜならそれは先輩たちの完璧さが「当たり前化」して飽き(ビートルズの「イエスタデイ」みたいに)、新しい刺激を求める若い世代のニーズだから。
 
とはいえ全体的には「低調な時代」と片付けられ、なんとなく月日は経ちます。そしてある日、誰かによって「再発見」されます。全部ではなく一部、特に突出したものだけが。癖は強いけど、これは侮れないぞ、すごいぞ、狂ってるぞ、などと。
 
その「誰か」とはまず、その文化ジャンルに深く精通している内部の人であることがあります。深すぎてそこまで掘り起こしちゃうケース。また逆に、外部からふらっと来た人が、無責任な好奇心一本釣りするケースもあります。外部の人はそのジャンルの既存のヒエラルキーに無頓着ゆえ、大胆な下克上を起こすきっかけを作ることがあります。
 
奇想の時代の終わり方には多少のバリエーションがあるように思われます。まず社会情勢が激変して、強制終了させられるパターン。江戸の奇想は、黒船で太平の眠りを覚まされたこのパターンでしょうか。
 
また別のよくあるパターンとしては、天才的変革者が現れるケースがあります。あまりの趣味性、通の遊び、内輪のヌルいゲームに堕し過ぎると、プロレスに対するガチが登場する感じです。「おいみんな、ここの空気は淀んでるぞ、空気を入れ替えようぜ!」と叫ぶリーダーが現れるのです。彼はたいてい「原点回帰」を唱えます。ルネッサンスのギリシャ、正岡子規の万葉集のように。それがたいてい、さっき言った「立派すぎる先輩」になります。彼らの欠点は真面目すぎて野暮、遊びがないところだったりします。そんな彼らが天国に行くと、次第に奇想化が始まり……という風に、歴史は繰り返します。
 
例えば現在のオタッキーなマンガなどは、かなり奇想化が進んできた感じがします(『ポプテピピック』とか。見てないけど)。もうすぐ臨界点に達して、破裂するかもしれませんね。

《愛ちゃん盆栽(お庭にて)》(Google画像検索)
自分の作品で奇想っていうと、例えばこれかな。もともと狩野永徳などの障壁画を東京国立博物館で観ている時に発想したものなので、奇想として由緒正しいっちゃ正しい。

文・会田 誠

1965年新潟県生まれ。美術家。東京藝術大学大学院美術研究科修了(油画技法材料研究室)。絵画、写真、映像、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など、多岐にわたって、批評と風刺に満ちたセンセーショナルな作品を発表し続けている。3月17日まで、兵庫県立美術館で開催中の展覧会『Oh!マツリ☆ゴト昭和平成のヒー口ー&ピーポー』に新作を出品。

本記事は雑誌BRUTUS886号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は886号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.886
死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100(2019.02.01発行)

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