アート

日本の絵はスゴイ? 会田誠は何を選び、どう見るか。

死ぬまでにこの目で見たい日本の絵

No. 886(2019.02.01発行)
死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100

あまたある日本の絵の中から、偏愛あり痛烈批判あり迷いもありで「死ぬまでにこの目で見たい絵」を選び抜いた会田誠に聞いてみた。

はじめに。

僕が日本の古い絵(明治以前の古美術や近代日本画)を意識するようになったのは、せいぜい美大生になってからー十代の終わりです。19世紀あたりに西洋で定義された芸術(FINE ART)の、ある意味居心地悪い末席に座らされた者として、それを疑い客観視するために無理やり召喚されたのがそれらであり(他にもマンガなどがありましたが、ここでは割愛)、徹頭徹尾こちらの都合でした。以来、日本の古い絵を参照しながら現代を表現する、といった仕事に折々トライしてきました。
 
ですから僕のそれらに関する知識は、個人的必要に応じたものなのでとても偏っており、虫食い穴だらけです。そんな素人に本特集の監修をやらせるブルータスの真意は測りかねますが……まあ立派な類書はすでにたくさんあるから、たまにヘンな本があってもいいだろうと思ったんでしょう。
 
100枚の絵を選んだのは確かに僕ですが、結局ほとんど教科書通りのラインナップになりました。すでに詳しい人には物足りないだろうけど、本当の入門者にはなんだかんだ言ってそっちの方が実用性が高いだろうと思ったので。代わりに僕のコメントはめちゃくちゃ気味にしました。現代と悪戦苦闘を続けている実作者の心乱れた放言だと、話半分で聞いてください。
 
全体の構成は通常とは逆に、歴史を新しい時代から遡るものにしてみました。たまにはそっちの順で見てみたくなったまでのことです。100という縛りから、第二次世界大戦後は切る以外の選択肢はありませんでした、悪しからず。
 
さて。古い日本の絵をどう見るか。偉そうに言える立場ではないですが、一言だけ。「ネトウヨ的」になるのだけは避けたいものです。
 
つまり何でもかんでも「日本の絵スゴイ」ではマズい、と。僕らの伝統的絵画の特徴の一部は、東アジアに共通するものかもしれないし、例えば透視図法(パースペクティブ)を使わない点では、ルネッサンス以降のヨーロッパ以外の全世界(アフリカとか)と仲間だったりもするでしょう。
 
別に僕らは神に選ばれたかのごとく、絵の才能に特別恵まれた民族というわけではありません。もちろん美点はありますが、同時にどうしても/いつまでたっても克服できない欠点もあります。
 
例えば「強い平面性」。それがゴッホら19世紀ヨーロッパの印象派を驚嘆させたのは事実ですが、「何を描いてもぺったりして、迫真的なボリューム感が出せないことが多い」という、現在にも続く日本の絵の欠点とセットになったものです。他にも「趣味的な装飾性」や「近視眼的な細部へのこだわり」や「輪郭線への偏愛」など、いろいろあります。全体として注目すべきは、長所と短所がセットになった「特徴」であって、良いところだけ見る「特長」ではないはずです。

「アニメやマンガのルーツは絵巻物や浮世絵にある」といった考えにも、多少慎重になるべきでしょう。実際にマンガ家やアニメーターがそれらに親しんだり研究したケースはたぶん稀で、明治維新や第二次世界大戦のあたりに大きな歴史の分断線があったことは明らかです。にもかかわらず日本の古い絵を見ていると、そこに現代にも息づく文化的遺伝子(ミーム)のようなものの存在を感じることがしばしばあります。その消えがたい、消しがたい特徴ー癖とか好みに隣接したものだと思いますがーとは何なのか/何ゆえなのかを、じっくり吟味して考えることが大切なんだと思います。

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文・会田誠

1965年新潟県生まれ。美術家。東京藝術大学大学院美術研究科修了(油画技法材料研究室)。絵画、写真、映像、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など、多岐にわたって、批評と風刺に満ちたセンセーショナルな作品を発表し続けている。3月17日まで、兵庫県立美術館で開催中の展覧会『Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒー口ー&ピーポー』に新作を出品。

本記事は雑誌BRUTUS886号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は886号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100(2019.02.01発行)

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