人はいつフィリピン料理を食べるのか?

松尾スズキ「ニホン世界一周メシ」

No. 885(2019.01.12発行)
おいしいコーヒーの教科書2019
唐辛子を大量に使ったビコル半島の名物料理「ビコルエクスプレス」で汗ダク。

西荻の片隅で味わう、エキゾチックで猥雑なフィリピン。

祝日の夜の西荻のとある商店街は、日本海側の町のシャッター街かと思うほど閑散としているうえ、寒風が吹きすさんでおり、土地勘というものに絶望的に見放されている私は、こんな場所にフィリピン料理屋があるのかと心細かったが、その細さが極細になるほど歩いた先に「ATE」はポツンとあった。

今回、社長とママと私は、フィリピン料理をくらうのである。食らうと決めてからふと思ったのだが、人はどんなときに「さあ、フィリピン料理を食べよう」と思うのだろうか。

「今日は結婚記念日だし、フィリピン料理でも食べようか?」そんなふうにはならないし、「明日の大会にそなえて、フィリピン料理でも食べるか」なんて、なんの大会かわからないが、そういうことにもならないだろう。ハレのムードやスタミナのムードを、私たちはフィリピン料理から感じとれないからだ。かといって「行きつけの松屋が改装中だから、フィリピン料理でも行く?」といった気安さもない。同じ食ったことのない料理でも、「カメルーン料理を食べましょうか?」と言われれば「なにそれ」と興味が疼くが、フィリピン料理は、ぎりぎり、イメージがないわけでもない。

フィリピンといえば、まず思い浮かぶのは、私の場合フィリピンパブだ。言葉があまり通じない飲み屋に行きたいという欲望は私にはないが、一部のおっさんたちには根強い人気があるフィリピンパブ。その言葉からうっすら漂う錦糸町感。

「あれは、なんなんですかね?」と、私。「フィリピンの子はね、明るくて、優しいんですよ」と、社長。「長野県の方にね」と、ママが怪しい笑みを浮かべて切り出す。「アパート全体がフィリピンパブになってて、村人たちがそこにはまりすぎてて、兄弟関係みたいになって、よそ者を入れないためにピンパブ好きの間で伝説になってる店があるんです」

明るくて優しくて、やらしくて、にしては、ドゥテルテ大統領のあの乱暴な感じ。なにやらつかみどころがない。かといってフィリピン人と日本人のハーフはやたらと多い。この不思議な距離感
 
若い店員さんに案内され、我々は想像よりこぎれいな店の奥に通された。彼はフィリピン人の店長(安藤玉恵似のマダム)の甥だ。
 
まず出て来たのはシシグ。ミミガーと豚肉を細かく刻んでニンニクやシークヮーサーや唐辛子をぶっこんで炒めた鉄板焼きに温泉卵が乗っかり、その上からワワワワとマヨネーズがかけてある。「おお」と声が漏れる。フィリピンの世界に首根っこつかまれてザブンと突っ込まれたようなインパクトだ。しかしうまい。いや、こんなものうまくないわけがない。パンチの効いた料理は大歓迎だ。見てくれから、どことなく漂う大阪っぽさも懐かしい。
 
続いてはアドボ。豚肉のマリネード煮込みというものらしい。これも見た目はガッツリで、パチンコで言えば気分は豚肉の確変2連チャンである。肉を醤油と胡椒でマリネした後、大量の酢で1時間以上煮込んだものだそう。脂がきついが、酸味が救いになる。そして、醤油の香りが、親しみやすい。
 
シニガンスープは、タマリンドという果物の酸味が効いた海老と野菜のスープだ。大根、空芯菜、おくら、インゲン、ピーマン、ナス。こってこての豚肉攻めに合っていた我々には、トムヤムクンから辛味を抜いた感じのこのスープは、オアシスであった。しかし、スープに入った海老を食べるのはやっかいなので、担当Kに勧めると、「私・・・甲殻アレルギーなんです」。前回の蕎麦アレルギーに続きまた・・・。「ほかにアレルギーあるの?」「メロンです」もう、わけが分からない。

次は、ビコルエクスプレス。今度は「うわ」と声が漏れる。また、豚肉の塊なのである。しかし、これはカレーなのだ。カレーと言われればなんでも許してしまうのが我々日本人である。ココナッツミルクに唐辛子を大量に入れて豚を煮込んだもの。とても辛い。が、これでこそアジア料理だ。私はたちまち汗まみれ。それが気持ちいいのだが、カレーの中に混じっているパプリカと唐辛子を間違えて、唐辛子の方を食べたら地獄を見るのは明らかだ。以前タイ旅行をした際、ししとうだと思って青唐辛子を食って、辛さのあまり10分くらい目と口を開けたまま動けなくなり、店内を爆笑の渦に巻き込んだ経験のある私は、それだけは避けなければならない。それはさておき、ココナッツミルクのカレーの香りは、タイやカンボジア料理を想起させ、我々を休日の閑散とした西荻の片隅から、一瞬にして、不思議な音階の音楽が流れるエキゾチックな、それでいて猥雑な東南アジアの風景へと突然、というか、ようやく、いざなったのだった。どんなときフィリピン料理を食べるのか? 「今日はエキゾチックで猥雑な気分だから、フィリピン料理にしよう」。そういうことでいいのだろうと思った。

ATE

西荻窪駅から徒歩5分、商店街の先に〈ATE〉はある。オーナーシェフフィリピン・ルソン島出身の竹内真弓さん。1986年に来日した真弓さんは、大恋愛の末に日本人の旦那さんと結婚、双子のお子さんの子育てと仕事に励みながら、2007年に〈ATE〉を開店した。もともとおばあさんが地元で食堂を営んでいて、小さい頃から舌に記憶した味わいをヒントに、持ち前のセンスで一手間かけた丁寧なフィリピン料理を作り続けている。

アドボ・バブイ

フィリピン国民食ともいえるアドボ。ATEでは豚肉を醤油とコショウでマリネしてから、野菜と酢で1時間以上丁寧に煮込む。とろけるような軟らかさと旨味をぜひ。1,020円。

シニガン・ナ・ヒポン

マリンド、ショウガ、トマトをベースにしたシンプルなスープは家庭料理の代表。大ぶりのエビに加えて大根、空芯菜、オクラなど野菜もたっぷり。ほかに魚、豚など5種類。1,290円。

シシグ

豚バラとミミガーを鉄板で炒めたフィリピン定番料理。味の基本は塩コショウとマヨネーズ。そこにシークヮーサーで酸味をつけ、温泉卵をのせるのがATEオリジナル。970円。

ビコルエクスプレス

辛い料理の少ないフィリピンで激辛を好むビコル半島の名物。豚肉と唐辛子をココナッツベースで煮込んだカレーだが、日本人でもおいしく食べられるようマイルドにしている。1,350円。

ギニサン・アンパラヤ

ゴーヤの炒め物はフィリピンで愛される一品。もともと真弓さんのお母さんが缶詰で作っていたものをトマトサーディンにアレンジ。色合いも鮮やかで、ご飯が止まらない。860円。

SUZUKI MATSUO

1962年福岡県生まれ。作家、演出家、俳優。今秋公開予定の映画と同名の小説『108』が先行発売中。ほか『もう「はい」としか言えない』『出会って別れて、なぜ悪い?』など著書多数。岩井秀人作・演出作品『世界は一人』(東京芸術劇場、2月24日〜3月17日)出演。

ATE/西荻窪
タガログ語で「おねえさん」の意味を持つ店名のアテ。第1・第3日曜日のランチは様々な料理がビュッフェ形式で楽しめる。東京都杉並区西荻南2−22−11 2F☎03・3247・6162。18時~翌2時、ランチ12時~15時(土・日のみ)。月曜休。

Coordinate/
坂本雅司
photo/
Shin-ichi Yokoyama
text/
アーバンのママ

本記事は雑誌BRUTUS885号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は885号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.885
おいしいコーヒーの教科書2019(2019.01.12発行)

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